9月 12

solitude
Ricoh GX100 / Ikebukuro / Tokyo

 右翼の街宣車に乗せてもらった!が面白かった。もっとも、はてなブックマークでは、もはやかなり開拓されてしまったようだが。

 このHP(やってみよう研究会)の書き手さん(京大院生?もう就職した?)の文章は、結構胸に来るものがある。他の体験記も味わい深い。北朝鮮旅行ネタとか、安部公房の小説『箱男』をリアルに演じてみた話とか。書き手さんは、なんというか、扱う対象に対する距離感が絶妙なんだよなぁ。遠すぎず、近すぎず、屈折していない関係性を対象と切り結んでいる。それが「淡々としている」という印象を生む。

 対象に「遠すぎない」という点について。書き手さんが、一般に目新しい対象を、「ネタ」扱いしない点がとてもすがすがしい。珍奇な対象を、「ネタ」扱いした時点で、書き手は絶対的に安全なポジションに逃げ込んでしまう。「ネタ」って言葉は自分もよく使うが、よーく考えてみれば、卑怯な言葉だよ。これからはなるべく使わないでおこうと思う。何を言ったって、何を扱ったって、「これはネタだから」の一言で逃げれてしまうんだから。いわば免罪符として、「しょせんネタだよ」と言い訳するわけだ。「ネタ」的な目線って、究極の上から目線だと思う。

 「ネタ」的な目線の対極に、「当事者絶対主義」みたいな、対象に「近すぎる」気持ち悪いポジションの取り方もある。たとえば、ひきこもりについて論評した文章に対して、「いや、この人の文章はひきこもりの気持ちをなにもわかってない。俺は昔ひきこもりだったけど、実感と違うな。だからこいつの文章はクソだ」みたいな批判が来て、論評の書き手も必死に、「本物のひきこもり」に認められるようにと、頑張って当事者にべったりするような構図がある。これは気持ち悪い。ポストコロニアル的な批判言説もそうだけど、「当事者や、実際に体験した人の意見は絶対」みたいな風潮には、決して流されてはいけないと思う。それぞれのポジションにもとづいた、いろんな見方があって当然なんだから(自分は自分自身のすべてを知り得ないでしょ?)。当事者であることは、そんなに偉いことじゃない。その点、この「やってみよう研究会」の書き手さんは、当事者の見方が絶対だとも考えていないし、素直な(日常生活においてシンプルにあるような)距離の取り方をしている。はてなブックマークの誰かのコメントにもあったけど、これって素晴らしく「ジャーナリズム」だよなぁ。おすすめ。


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