9月 08

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 首都圏にしてはめずらしく、大きな台風がやってきた。被害は甚大なようだし、実際に亡くなられた方もいるみたいなので、迂闊なことはいえないのだけれども、人間性を疑われる覚悟で、感じたことを少々。

 身近に氾濫する川や海がなく、住居も(台風に耐えられる程度に)頑丈で、仕事上の懸念事項を抱えていない場合、台風の到来にわくわくしてしまう人は多いと思う。自分に直接的な被害が及ばない程度に、日常世界の秩序がかき乱されるからかもしれない。分離→移行→再統合、という流れの中で、無傷の再統合が約束されている人たちは、台風という非日常の秩序への移行(トランス)状態を楽しむ。

 所用があり、午後10時頃に東京の街を歩き、街ゆく人々を観察していた。ちょうど東京が暴風圏に巻き込まれ、数時間のうちに最接近するかという頃合いだった。はじめのうちは必死に傘をさしていた。重い荷物を抱え、暴風に煽られながら、苦渋の顔で帰路を急いでいた。不快きわまりなかった。でも、ある突風によって傘が無用の長物となってしまい、ある種の悟りを感じ、傘を捨て去った。その後は、風と雨に堂々と煽られながら、街を歩いた。気持ちよかった。笑ってしまった。なんだろう、このすがすがしさは、と思った。

 台風の時に傘をさすことをあきらめる、というのはある種の認識的な転換点だ。とばされないように必死な顔をして傘をさしているとき、雨風は、自分の境界を侵犯してくる不快な異物に感じられる。ところが、ひとたび傘をあきらめたとたん、雨風はとたんに親密なものとしてあらわれてくる。自分を晒すことの快感、自然と濃密に肌を触れあわせる快楽に目覚めてしまう。

 おそらく、街を歩いている他の人々もそうだったのだと思う。傘をあきらめたとたん、すがすがしい顔で、笑いながら歩き出した人をたくさん目撃した。服を濡らしたくない、カバンを汚したくない、という(よーく考えれば)ちっぽけな守るべきものから解放されたとたん、能動的に、ある状況を享受できるようになる。

 Janis Joplinというアーティストは、「Freedom’s just another word for nothin’ left to lose (自由とは何も持たないことよ)」という名歌詞を唄った。さすがにここまでいわれると、「原理的に何も持たないことはありえないし、何も持たないとしたらそもそも自由は存在しえないだろう」とシラけてしまうのだが、それでも、このような認識的な転換は、生きる知恵なんだろうなぁ、としみじみ思ってしまったのだった。


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