7月 28

DSCF0040
Okutama / Tokyo / Japan.

 私はあなたの振る舞いを裁判官のように客観的に見つめようとすることもできるし、あなたの振る舞いを連帯者として支えることもできるだろう。「第三者視点で冷静に見て相手の振る舞いは良いのか悪いのか」を問うこともできるし(裁判官視点)、「この人の脆弱な立場を支えられる存在は数少ないのだから、せめて私はこの人の振る舞いに悪い点があり得るとしてもこの人が望む方向性を支えてあげよう、味方になろう」と覚悟を決めることもできる(連帯者視点)。もちろん、どちらの視点を取るかを通常、人は意識しておらず、視点の切り替えは無意識的に行われるものだろう。

 たとえば、twitter界隈のお話。男(彼氏)と女(彼女)が大々的に喧嘩し言い争っているとしよう。女の友だちは、彼女に対して全面的に裁判官視点を持つべきでないと私は思う。友だちなのだから、たとえ客観的(裁判官視点的)に考えて彼女にいくぶんか落ち度があったとしても、連帯者視点で彼女の味方になってあげなよ、あなたしかなれないのだから、と思う。もちろん、時には裁判官視点からの冷静なアドバイスは必要だろう。でも基本的には、彼女の友だちは彼女の味方になってあげるべきだと思うのだ。男(彼氏)のことを一緒に悪く言いあって、彼女の気分を楽にしてあげるのも良いだろう。

 そのとき彼女の友だちにとって大切なのは、裁判官視点と連帯者視点の2つがありうると自覚し、それでもあえて彼女に対して連帯者視点を選び取っているのだ(だって友だちだもん)という自覚を持つことである。本当の意味で客観的な視点などありえないけれど、少なくとも神の視点(裁判官視点)を取ろうと決意したときには別の見方がありうると自覚すること、だから彼女の彼氏は客観的な意味で蔑むべき存在だなどと思い込まないことである。

 彼女の友だちにとっての彼氏像は、彼女のものの見方、彼女があれこれ語るエピソードを通じて形成されている。彼女の友だちは彼女の連帯者なのだから、彼女に肩入れして彼氏像を描くだろう。そのような状態で、相手(彼氏)を裁判官視点で裁くことができるだろうか?できるわけがない 1)もし彼女の友だちが彼氏側の友だちだったならば、同一の出来事に対して異なった判断を下しただろう。友だちが現状より良い状態にたどり着くために必要な道筋はなにか?に従って価値判断されるのだから。彼女の友だちだった場合と彼氏の友だちだった場合における判断のバラツキが連帯者視点固有の成分 。しかし、彼女の友だちは、彼女にとっての大切な連帯者そのものである。だから、彼女と一緒に彼氏の悪口を言い合うことは許されるはずだ。彼氏側はそのことを強く理解しなければならない。たとえ彼女の友だちに汚く罵られたとしても、彼女の友だちを憎むべきではない。彼女の友だちは裁判官ではなく彼女のかけがえのない連帯者なのである。彼女の友だちは彼氏を裁いているわけではなく、彼女を支えているのだ。それは仕方がないことだし、あるいは美しいことですらある。

 ネットが発達する以前、「彼女と彼女の友だちとの会話」のようなものは、彼氏にとって不可視状態であることが多かっただろう。しかし、twitterのような独り言垂れ流し/交流装置が発達した現在、それは必要以上に可視化されてしまう。男女の痴話に限らず、政治にまつわる問題だってそうだ。自分が裁けるという勘違い、また自分が裁かれているという勘違いは、悲劇しか生まない。味方の「敵」を裁いていたつもりになっていたけれど、味方を支えていたのかもしれない。「敵」は自分を裁いていたのではなく、「敵」の味方を支えていたのかもしれない。連帯者と裁判官は異なり、連帯者は裁判官になりえない、しかし連帯者は(必要とされている人に対して)連帯者であるべきだということ、これらの構造に対する配慮が不要な軋轢を軽減する可能性を、訴えかけていきたいなと強く思う。構造的に分かり合えないことはあり得るし、忘れてはいけない悲しさとともに、分かり合えなさを引き受けていたい。

References   [ + ]

1. もし彼女の友だちが彼氏側の友だちだったならば、同一の出来事に対して異なった判断を下しただろう。友だちが現状より良い状態にたどり着くために必要な道筋はなにか?に従って価値判断されるのだから。彼女の友だちだった場合と彼氏の友だちだった場合における判断のバラツキが連帯者視点固有の成分

1 Star2 Stars3 Stars4 Stars5 Stars (2 votes, average: 4.50 out of 5)
Loading...Loading...
17,072 views | add to hatena hatena.comment 1 users add to del.icio.us 0 user add to livedoor.clip 0 user |  http://plaisir.genxx.com/wp-trackback.php?p=239



Amazon Related Search

2 Responses to “裁いているのではなく、支えているということ”

  1. 匿名 Says:

    杓子定規に決め付けるのではなく柔軟に考えようよというエントリーですか?

  2. Says:

    杓子定規に物事を捉えるというよりは、柔軟に考えようよというエントリーですか。

Leave a Reply