2月 13

stand him up

Nikon Coolpix / Shibuya / Tokyo.

 ハーバード大学の心理学教授、Steven Pinker(スティーブン・ピンカー)がNYTに書いた道徳の認知科学についての記事を紹介した、前回のエントリーのつづき。

■道徳の進化的・普遍的な5要素

 心理学者のJonathan Haidtや文化人類学者のRichard ShwederとAlan Fiske によれば、道徳的思考モードが喚起される(進化的に備わった普遍的な)条件は、次の5要素に集約されるそうだ。この5つが道徳性を支える進化的・認知科学的要素であり、これらの要素が犯されたときに道徳的思考モードが立ち上がり、人々は怒り狂いはじめるという。

1.Harm(他人を害するのは良くないこと/他人を助けるのは良いこと)
2.Fairness(親切にされたらお返しすべし/利他的な者を褒め、裏切り者を罰するべし)
3.Community(集団への忠誠を誓い、一致団結し、集団の規範に従うべし)
4.Authority(合法的・正統的な権威に従うのは良いことであり、高い地位の人間を敬うべし)
5.Purity(清らか・清潔・神聖なるものを賞賛し、汚れたもの・汚染されたもの・肉欲にまみれたものを嫌うべし)

 詳細はJonathan Haidtのホームページから論文を辿ってみて欲しいのだが、これら5要素は、1.通文化的に心理学実験で確認されており、2.文化人類学的な文献のレヴューを行っても破綻しないことから、ある程度は実証的に確認されたといえるだろう。

 また、これらの5要素を支える、進化的な背景を挙げることもできる。

1.Harm→サルも、自分が餌を得ると同時に他のサルに(実験者から)ショックが与えられるくらいなら、自らが空腹を我慢する方を選ぶことが、実験的に確認されている。
2.Fairness→社会生物学的な、互恵的利他主義と関連している。(自分が食料をたくさん持っているとき誰かにそれを分け与えた者たちは、自分が困っているときに食料を分け与えて貰うことができた)
3.Community→自分を犠牲にしてでも(遺伝子を共有している)親族を助けることによって、遺伝子の適応度が上昇するメカニズムに関連している。だからこそ、他者への利他的な行為は、親族的なメタファーで語られる。(たとえば、兄弟愛、父祖なる地、共通の起源神話、といった具合に)
4.Authority→動物が(誰がボスなのかという)地位を確認する行為と明らかに関連している。
5.Purity→腐敗した肉やリスクの高い性行為(近親相姦)を嫌悪する心性と関連している。

■進化的な普遍性を持った道徳/文化によって異なる道徳

 では、道徳は、いかにして普遍的であると同時に(文化によって)様々なカタチを取ることができるのだろう?先述したとおり、5つの領域は進化に根ざした普遍的なものだ。しかし、どの領域がどれくらいの重要性を持ちどの位置にランク付けされるのか、そしてどの領域がどのような――たとえば性(セックス)、政府、経済、宗教、食事などの――社会的活動と結びつけられるのかは、文化によって異なっている。たとえば西欧社会では、会社や政府が、(身内びいきという3.Communityの要素よりも)公正さ(2. Fairness)を重視しなければならないと皆が感じている。だが、そうは感じない文化も存在している――「自分たちの兄弟よりも赤の他人を重視するキチガイは、なんて無情で嫌らしい奴なんだ?」といった具合に。

 Haidtによれば、道徳性の普遍的な5要素のうち、どれをどのくらい重視するのかによって、アメリカにおける<リベラル派/保守派>という対立軸が生まれてくる。たとえば同性愛や無神論や人種問題といった、リベラル派と保守派がいがみあう論点の多くは、(道徳の5要素の)どの要素にどれくらいの重み付けをしているかを反映しているのだ。リベラル派は1.Harmと2.Fairnessを重視し、3.Community、4.Authority、5.Purityといった要素を軽視している。他方、保守派は、5要素すべてを重視している(参照)。だから、両陣営は、それぞれの重み付けを施した上で、普遍的な道徳要素を賭けて相争っているといえる。

■道徳性の認知的・進化的メカニズムを理解すれば、より良く行動できるかも

1.たとえば<リベラル派vs保守派>や<右翼vs左翼>といったように言い争っているとき、わたしたちは「相手は道徳的に間違っている!」と思いがちだけれども、両者はともに、道徳の5要素を賭けて争っている場合が多いのだ(重み付けが異なるだけ)。だから、相手の心情も察してあげましょう。敵も真っ当な「道徳」を賭けて争っていることを知れば、共通の地平を探りやすくなるかもしれない。

2.道徳的思考モードが発露すると、とにかく人は憤ったり非合理的に考えたりしがちなのだから、道徳的な怒りを感じるときには、より慎重であれ(たとえば「日本が核兵器を保有すべきかどうか議論することすら汚らわしい」と感じている人はたくさんいるようだが、そのような「道徳的」態度はやめましょう、ということ)。

3.道徳的なスイッチが入ると、ある事態の改善策を冷静に練るよりも、<敵/味方>的な論法や思考に陥りやすい。たとえば、疑似科学批判を少しだけ批判した者が執拗に叩かれるのは、このような理由が存在しているからでもあるのだろう。また、看護士の医療ミスによってある患者が死んでしまったとき、わたしたちは(怒りにまかせて)病院をボコボコに批判して叩くべきか?それともミスを防ぐことが出来る医療デザインを真剣に議論すべきか?(もちろん後者だ)

■最後に

 倫理に酔い、道徳心や正義感を鼓舞させ、「弱者のため!」「社会のため!」だと叫ぶ前に、まず立ち止まろう。道徳心は極めて危険でもあり得ることに、少しだけ思いを馳せよう。正義感に酔っているとき、わたしたちは得てして、視野狭窄に陥っている。その意味で、次に引用するmacskaさんの言葉をじっくりと噛みしめておきたいと思う。誰かと正義をめぐって激しく言い争い、モヤモヤと怒りがこみ上げてきたとき、道徳の進化的・認知的な5要素を振り返ることによって、いくぶんかは風通しが良くなり、生産的な議論を行うことができるのではないかと強く感じるのだ。

 腹黒いだけの連中なら、利害によってはどちらにでも転ぶわけだから、まだ行動を予想・コントロールしやすい。問題なのは、活動家業界では「正しい動機」「正しい目的」が現実的なコスト計算やトレードオフの分析を押し退けて、ある行為の正当性の根拠とされてしまいがちなことだ。「左寄り」の読者にも分かりやすいように「右翼活動家」の似たような例を挙げると、石油利権による利益だけを狙う腹黒いブッシュ大統領と、中東の人々を圧政から解放して民主主義を導入することを本気で狙う理想主義者のブッシュ大統領のどちらが世界にとってより危険か、考えてみれば分かるだろう。

 わたしが経済学(というか、米国において主流であるいわゆる新古典派経済学)に魅力を感じるのは、それが活動家業界における「正しい動機」「正しい目的」の横行を解毒するのに有効だからだ。なにしろ経済学によれば、市場がうまく働いていない特有の事情がない限り、社会問題を解決するために政府が何らかの政策を実施することは、基本的に経済の生産性を犠牲にすることになる。そこにどんな「正しい動機」「正しい目的」があろうと関係ない。生産性向上というと「労働者を低賃金で酷使する」みたいな冷酷な響きがあるけれども、生産性を高めることによって経済が成長し、人々の暮らしを豊かにできる(可能性ができる)のだから、一概に否定できない。それを承知のうえで、それでも看過できない不公正をただすために政府が介入するのであれば、それがどういうトレードオフをもたらすのか冷静に分析・論議したうえで、民主的な決定に委ねるべきだと思う。(参照

 そう、以前書いたとおり、マジになっちゃだめ!

※2011/1/21 追記 http://d.hatena.ne.jp/amourix/20110120/1295529506


1 Star2 Stars3 Stars4 Stars5 Stars (1 votes, average: 5.00 out of 5)
Loading...Loading...
14,263 views | add to hatena hatena.comment 29 users add to del.icio.us 0 user add to livedoor.clip 0 user |  http://plaisir.genxx.com/wp-trackback.php?p=187



Amazon Related Search

Leave a Reply