2月 03

 ハーバード大学のDani Rodrik(経済学)のブログで面白い論文が紹介されていた。プリンストン大学のAngus Deatonが書いた”Income, aging, health and wellbeing around the world : Evidence from the Gallup World Poll”(2007)という論文。ここで読める。世界132カ国の人々を調査したGallup世論調査のデータをもとに、世界各国で所得と幸福度の関係はどうなっているのかについて考察した論文。上図の横軸は一人当たり国民所得を示し、縦軸は「あなたの人生はどれくらい幸福ですか?」という質問をたずね0~10の数値で自己評定させて得た回答の平均値を示す。それを各年齢層ごとに分けて示したものが、上図。幸福度の平均値は一人当たり国民所得と強い関連を持っており、一人当たり国民所得が2倍増えると幸福度が約1ポイント増加する、と筆者は結論している。つまり、この論文は、貧しい国々の人々は金銭的には貧しいけれども心は幸福だ、という幻想を打ち砕いている。平均すると、(国民所得が)貧しい国々の人々は豊かな国々の人々よりも幸せを感じていない、ということになる。(精読せずざっと読んだだけですが)

 これは以前の記事でいう「レベル2の幸福感」を調べたもの。やはり金銭的に裕福であれば幸せを感じることができるのか?という疑問を抱いたついでに、『目からウロコの幸福学』(ダニエル・ネトル)の中で所得(金銭)と幸福の関係がどう論じられていたのかについて、確認しておきたい。以下の文章も、「レベル2の幸福感」についてのものです。さて。上の図を見て奇妙なことに気がつかないだろうか?そう、多くの人々は自分の幸福度が4以上であると回答している。つまり、幸せ方向に回答が傾いている。

 イギリスでは、国民生活の断面図を描くような大規模な実態調査が定期的に行われている。そのひとつが、全国児童発達調査(NCDS)というもの。これは1958年の誕生時から40代の現在にいたるまで、彼らの出生、家庭環境、学歴、健康状態がすべて記録された、縦断的調査だ。

 これまでの生活をふりかえってどの程度満足しているかを、同じく0~10までの自己評定でたずねたところ、11269名の回答者のうち、9割以上が5より上だと答えたそうだ。そして、最も回答が多かったのは、8(!)。平均値は7.39。また、1990年代はじめに行われた42カ国を対象とする調査では、満足度の自己評価の平均値が、十段階のうち中間の5.0を下回った国はひとつもなかったそうだ。さらに、「十年後に今より状況が悪化していると思いますか?」とたずねたところ、「悪化する」と答えたのは5%、49%は現状維持、46%が今より良くなると考えていた(!)。現在の生活への満足度の平均値は7.39だったが、十年後はどうなっているかという予測は、平均値が8.05になった。

 つまり、 わたしたちの多くは自分のことを幸せだと思っているし、将来はもっと幸せになれると考えている。自分のことを不幸(5未満)だと考えている人はかなり少ない(もちろん冒頭で引用した論文では5.0を下回った国が存在したが)。なぜだろう?ダニエル・ネトルはこう分析する。幸せについての自己評価がこれほど高いのは、ひとつには、人々がみずからの発する信号に気づいていて、印象操作を行っているからだと。すなわち、不幸とは、単に不運なことではなく、恋人・友人・同僚(の候補者)の前では見せたくない、格好悪いことだから、人々は自分のことを幸福だとアピールしようとしているのだ、と。この分析を裏付ける研究もある。書面での調査にくらべ、面接調査を行った方が、人々の生活満足度が高くなる傾向が示されているからだ(面接官の前では「ええ格好しい」をしようとしている)。人はみな上手に幸せな「ふり」をしているのかもしれない。

 さらに面白い調査結果が本書に載っている。先述したNCDS調査で、所得がおなじ人どうしをくらべた場合、生活満足度と社会階級のあいだには関連性がある。しかし、階級がおなじ人どうしをくらべた場合、所得と生活満足度のあいだには、ほとんどなにも関係がなかったそうだ。つまり、同じくらい稼いでいる人を比べれば、社会階級の高い人の方がより幸せを感じているが、同じ程度の社会階級に位置する人の間では、所得が増えても幸福感は変化しない、というのだ。すなわち、幸せになりたいならば、金より地位を求めろ、ということ。

 アメリカでは、1970年から1990年まで、平均所得は実質300%に増えた。だが、それにともなう平均満足度の向上はみられない。たとえば、1970年の清掃人よりは1990年の清掃人の方がはるかに多くの所得を稼いでいるが、社会の中で「清掃人」という位置づけが変わったわけではない。満足度に影響するのは絶対的な富ではなく、(社会の中での位置づけという)相対的な富なのだ。

 また、さらに興味深いことに、「やりたいことを、たいていの場合やることができる」という自主性の評点は、所得以上に幸福につながりやすい(相関関係が20倍)ことがわかってきた。貧しくとも自由を得ているグループの生活満足度 の平均は7.85だったのに対し、裕福ながらも自由を与えられていないグループの生活満足度の平均は5.28だったからだ。つまり、お金をたくさん持っているかどうかよりも、「やりたいことを、たいていの場合やることができる」という自主性の方が幸福感に結びつきやすい、といえる。社会というピラミッドの中にあっても、生活を自分で管理できる機会が与えられてはじめて幸せを感じることができ、逆に所得がたとえ低くても、自分で自分の生活を管理できる道があれば、やはり幸せだと思えるのだ。

 まとめて自分なりに考えると、こういうことになる。幸福の概念は相対的なものであり、自分より上にいる人間を見て不幸を感じたり、自分より下にいる人間をみて幸せを感じたりする。他者と比較しなければ、自分が幸福であるのかどうかはわからない。人々が自分の恋人にどれぐらい満足しているか、その回答を、美しいモデルの写真を一枚見せられる前と後とで比較したある有名な研究が存在する。美しいモデルの写真を見せられたあとでは、やはり、恋人に対する満足度は低下してしまったそうだ。冒頭で引用した論文の結果は、おそらく、「発展途上国の人々は先進国の人々と自分たちを比較して幸せかどうかを判断しており、だから幸福感が相対的に低い」ことを示しているのだろう。メディアが発達した結果、西欧諸国の裕福な生活に関する情報が途上国に流れ込んでいるから、相対的な不幸を感じる場面が増えているのだろう。

 もしかしたら、わたしたちはとても辛い時代に生きているのかもしれない。マスメディアやインターネットを活用して、様々な情報を知れば知るほど、「自分より優秀な人間はたくさんいるんだなぁ」と痛感させられるからだ。インスパイアを受けるような人物を知れば知るほど、自分の「シアワセ度」は下がって行かざるをえない。これは、良くも悪くも、人間の性なのだろう。

 相対的に不幸を感じると、それを改善しようとあれこれ努力するエネルギーが沸いてきて、その結果、個体は生存確率を上昇させることができるのだろう。しかし、宝くじで何万ポンドも当てた人が平均的な幸福度レベルにもどるのには何ヶ月もかからないことを実証した実験が示すとおり、人間は、努力して得たものにすぐ適応してしまう。シアワセの終着点(本物の幸せ)など存在しなく、人間はすぐに慣れて物足りなくなってしまう。どこまで進んでも、絶対的な幸福感は得られない。もし幸福追求の体内プログラムが、わたしたちに最適なものごとを探させるために存在するのだとしたら、どこか別の場所により良いものが存在するかもしれないという可能性に敏感になるのは当たり前であり、つねに不満の余地を残しておくはずだからだ。

 したがって、たとえ発展途上国がGDPを今よりうんと増やしたとしても、先進国との相対的な差が存在するかぎり、発展途上国の人々の幸福度は改善しないのではないかな、と思う。まだまだわからないことがたくさんあるけれども、本物の科学としての「幸福の科学」は、このように、とても面白い分野なのです。

おまけ:冒頭の論文より、世界各国の幸福度自己評定の平均値を示した地図

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2 Responses to “所得と幸福の関係について”

  1. 蒼龍 Says:

    はじめまして。とても面白い記事です。しかし、私からするといろいろ疑問に思えた点があったのでメモとしてここに記しておきます。

    まず、「幸せになりたいならば、金より地位を求めろ」に関しては、相関関係から因果関係は分からないの鉄則から、そうは簡単には結論できないはずです(第三の要因がある可能性だってある)

    次に、幸福度の尺度調査そのものが相対的な幸福度を答えさせるのと同じ効果を持つのであり、だから幸福度全体の平均が5以上なのもそう解釈できる(自分は社会の平均よりそれほど下ではない)し、「(社会の中での位置づけという)相対的な富」を反映しているのも尺度調査の性質と解釈した方が妥当ではないかと。「他者と比較しなければ、自分が幸福であるのかどうかはわからない」と言うのは、一見すると社会心理学の成果から正しいともいえそうですが、ここで紹介されている調査からそう結論できるかは怪しい。なぜなら、幸福度の尺度調査そのものの持つ性質が(潜在的な)社会的比較である可能性が高いからだ。

    と、心理学出身者の虚しい突っ込みでしたが、ここに書かれている幸福感の自由(自主性)との関連や社会的比較論そのものには興味深いところがあります。ちなみに、Genさんの疑似科学批判への関心は社会的比較論と関連しているようにお見受けしましたが、間違っていたらすいません。

  2. Gen Says:

    蒼龍さん、はじめまして。
    いつも認知科学のブログを楽しく読ませていただいています。

    「幸せになりたいならば、金より地位を求めろ」については、たしかに相関関係と因果関係を混同させるような記述を行ってしまいました。ダニエル・ネトルは慎重に書いています。曰く、「社会階級は、教育程度、職業選択の自由、職場での相対的な地位、仕事以外への活動への参加度などを測る指標でもある」と。

    「他者と比較しなければ、自分が幸福であるのかどうかはわからない」という命題については、私も社会心理学的な知見や進化心理学的理論分析との整合性から納得してしまったのですが、たしかに「幸福度の尺度調査そのものの持つ性質が(潜在的な)社会的比較である可能性」も存在するかと思います。

    ただし、ある人が報告する幸福度の自己評定値は、その人なりに(数年にわたって)首尾一貫しており、また個人の自己評価は(友人や家族が当人をどの程度幸せと見ているかという)他人の評価、あるいは笑いの量や中立的な第三者による観察などの客観的な評価とほぼ一致しており、かつ、幸福度の自己評価と(将来の)健康に強い相関関係が確認されるそうなので、かなり信頼性・妥当性は高いかと思われます。(もっとも、本書に上記の内容に関する詳細な記述はありません)

    ネトルはその後、「外向性」と「神経症的傾向」という性格因子の方が状況要因よりも強く幸福度に影響を与えることを論じていきます。つまり、あがいたって幸福度はほとんど変わらないよ、と。レファレンスが一切載っていない時点で学術書としての価値は大きく毀損されていますが、スリリングでコンパクトな展開には見るべきものがある本ではないかと思います。機会がありましたら、ぜひ一度手に取ってみてください。

    疑似科学批判に関しては、色々と騒動を引き起こしてしまいましたが、社会比較理論を含め認知・進化・社会心理学的な知見と接合させて丁寧に論じていくのがこれからの課題だと考えています。蒼龍さんのブログにても、色々と勉強させていただきますね。

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