2月 01

gradation
Ricoh GX100 / Takeshiba / Tokyo.

※様々なところからリンクを張られて騒ぎが大きくなっているみたいなので注記しておきますが、【科学であると誤解されていることが被害を発生させている状況】について、疑似科学を肯定する気は全くありません。本記事は、「水からの伝言」を肯定するものではありません。「血液型性格論を信じている奴って馬鹿だよね」的な(素朴な)暴力について懸念を表明した文章であり、疑似科学批判全般を批判する意図は一切ありません。

 「疑似科学を批判する人は謙虚であれ」という言い回しは抽象的なので、今一度主張を明確にしておきます。「謙虚であれ」とは、つまり「何を批判しているか自覚せよ」ということです。これは、思索の海さんのコメント欄に書いたことと基本的には同じですが。

 科学者が疑似科学信仰者を批判するとき、二つの水準(レイヤー)が混在しています。

1.事実のみに関わる純科学的な批判
2.道徳的・政治的な批判

 1の純科学的な批判については、科学の領域で、実証的に白黒つけることができる。つまり、事実について科学者が疑似科学信仰者を批判するときには、実証的データという(さしあたり)疑いようのない批判根拠が存在している。だから、感情的になる必要はありません。

 ところが、2の道徳的・政治的な批判については、白黒(批判が正当かどうか)をはっきりつけられる根拠が存在していない。この部分は、人文学的な「解釈」の領域です。あるいは、どちらの方が社会の支持をより集めることができるのかという、政治的パフォーマンス(言説バトル)の領域です。だから、感情的になりやすい。「疑似科学(を主張すること)によって多くの先人や現在科学に携わっている人々の人生が否定されてしまうこともある」(参照)と憤る気持ちや、「怪しげな話をして人を惑わしてはいかんのではないのか」「法的にも道徳的にもどうなの」(参照)と感じる気持ちはわかりますが、これらは科学そのもの(事実の領域)とは無関係であることを確認してください。

 この点については、PSJ渋谷研究所Xさんの「2つの「正しさ」とニセ科学」という記事が参考になるかと思います。

 「自然科学の人がいうニセ科学批判と、市井のふつうの人のニセ科学批判が、おっしゃるような意味で同じ性格を持っているとは思えないのです」(参照)という亀@渋研Xさんの指摘は重要です。「市井のふつうの人」がニセ科学を批判する場合、それはあくまで「2.道徳的・政治的な批判」であるといえます。つまり、「市井のふつうの人」が疑似科学を批判するとき、「科学のモノサシ」は彼らの批判の正しさを保証しないのです。「2.道徳的・政治的な批判」と、「科学のモノサシ」は、無関係です。すなわち、「2.道徳的・政治的な批判」を行うときには、「自分たちが絶対に正しい」ことを保証する科学的な根拠は存在していません。

 自分の主張は、疑似科学批判側と疑似科学信仰者のあいだに芽生えている相互不信というかディスコミュニケーションを改善するために、「2.道徳的・政治的な批判」において、疑似科学批判者側が「自分たちは絶対に正しく、有能だ」と思う気持ちを封印して、より対話的な態度を取ろうではないか、ということでした。あるいは、「2.道徳的・政治的な批判」のトーンを下げることによって、「1.事実のみに関わる純科学的な批判」を通しやすくなるのではないか、ということでした。少なくとも、科学的手続きに正しさを保証された「1.事実のみに関わる純科学的な批判」と、絶対的な正しさは保証されない「2.道徳的・政治的な批判」を、自覚的・意識的に分離させて感情を鎮めようではないか、ということでした。そしてできれば、「2.道徳的・政治的な批判」を行う際には、ニヒリズム(「生きる意味」の喪失)の問題を真剣に考えて欲しい、ということなのでした。もちろん、疑似科学批判を批判する際にも、そしてそれに応答する疑似科学批判-批判-批判を行う際にも、これらの点を踏まえる必要があると私は感じます。

>>追記


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11 Responses to “疑似科学批判者は「何を批判しているか」自覚せよ”

  1. yt Says:

    そうですね。科学者からの批判は科学の取り扱いについてですね。科学者でいて占い師にも友達もいた立場なのですが、科学とは何か?ということを伝え切れていない事も疑似科学が大きくなってる事の原因だろうと思ってますね。

    科学者はもともと議論の中で生きてるし、そのやり取りはそれ以外の人たちから見れば、ドライで無機質なものを感じやすいと思う。そして、攻撃的な人も多い。その延長線上で非科学者と対峙すると、不信感を作りやすいんですね。また、疑似科学者はその攻撃に耐えられず殻にこもったりしやすいかもしれない。

    優れた人は別ですが、人間が持つ要素に理性と感性とわけるね。そうすると、科学者は理性で語る。疑似科学者は感性で語る。ところがありますね。案外共通理解ができるところが少なかったりしますね。優れた人って感性でも理性でも語れますから。それぞれが語ってる科学の定義をしっかり踏まえたうえで話し合いする必要がありますね。

    また、科学的という言葉って、科学的ではなかったりします。それは価額の中にある厳密さはなくあいまいな言葉だからです。それだけに非科学性を持った言葉ともいえます。言葉から来る印象と中身がまるで違うので、これも多くの人を混乱させてる原因だろうね。

  2. Interdisciplinary Says:

    Genさんへ質問…

    ※これは、言及先のブログに投稿しようとしたコメントを、エントリーとして起こしたも (more…)

  3. Chromeplated Rat Says:

    もやもや…

    Genさんの疑似科学批判者は「何を批判しているか」自覚せよと云うエントリを読んで、非常にもやもやしている。もやもやしたままで書く。
    以下に書くことは、本来ぼくが書くべ (more…)

  4. apj Says:

    直前の投稿が文字化けしたので、書き直します。済みませんが前のは削除していただければと……。
    この件について私のところでも書きました。トラックバックに失敗したので、URLを貼らせてください。
    http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=7775

    何て言うか、現実に起きているディスコミュニケーションは、Genさんが思っておられるような種類のものでは無いというのが私の実感なのですが。

  5. Gen Says:

    apjさん

    はじめまして。削除の件、了解いたしました。
    「事象の地平線」に記述したコメントをもって、お返事に代えさせてください。

  6. イカフライ Says:

    こんにちわ。
    誠実で、興味つきないご意見を拝見しまして少なからずほっとしています。
    白か黒か、お前はどっちをとる。はっきりせよ。という断定的な論法ばかりが言説の世界を席巻すると、息が苦しくなる。

    わたしとて霊感商法や不当表示や無効商品販売には怒り心頭のくちです。
    これは何もわたしだけではなく、霊感商法をやっている御仁だって霊感商法はいやだし、インチキ商品を買わされるのはいやでしょうから、基本的に「擬似科学」なるものに賛同する人間なんていないはずです。

    ところが「疑似科学」批判に熱心な人たちにはある共通項があって、ちょっとした異論を差し挟むとぎゃっととびあがる。
    異論を冷静に語り合うことを拒み、感情的になるところがある。
    ○○一派とかそういった決め付けに走りやすく、異論を検討する冷静な視点が欠けているように思えるのです。

    「疑似科学批判」問題でわたしが一番興味をもつのは「疑似科学」批判派のその部分です。
    つまりブログ主のいうところのディスコミュニケーション。
    ある言説が科学か非科学なんていう問題は、実証的な手続きをやればすぐにわかることですから興味はない。ぐずぐずいってないでさっさとやって、あれは間違ってますといえば済むことだ。
    ただ、それでは何一つ問題が解決しない。なぜか。
    ほんとうの問題がべつのところにあることを知ろうとしないで「疑似科学」というレッテル貼りにばかり執心だからではないのか。

    ま、みなまでいうつもりはありません。
    ひとつは「疑似科学」というゴミ箱は非常に便利なゴミ箱だということ。
    人はそういうカテゴリぃーをひとつ作ってしまえば、面倒くさいもの、胡散臭いもの、いかがわしいものはすべて束にして簡単にそこに捨ててしまえる。
    それで世の中はすべてオーライです。
    これはある意味、昨今のある種のやばい風潮と重なるところがある。

    人々が冷静に、慎重にものを考えることをやめたということでもあり、人々がうざいもの、いかがわしいもの、理解できないものの口を封じるという衝動に走りはじめた兆候ともとれる。

    ほんとうは、ある程度の幅があり、高さがあり、距離がある。
    世界とはそういう受容体であったはずなのに、科学なるものがしゃしゃり出すぎると非常に窮屈な世界に変容する。
    わたしが危惧しているのはそういう「ゴミ箱製造屋」が最近増殖しているということです。
    かれらはある種の共通項で一致している。
    「疑似科学」批判。「陰謀論」批判などと称して、そのようなキーワードで人々を弁別しようとしている感すらある。

    ところで、
    ajpさんの反論は正しいのですが、その反論は位置がずれています。
    現実に起きているディスコミュニケーションの捕らえ方が。ajpさんのケースはそれで正しい対処の仕方でしょうが、「擬似科学」にまつわる別のディスコミュニケーションがあることをたぶんここのブログ主の懸念することなのです。

  7. おる Says:

    ニセ科学と一口に言っても、例えば血液型性格判断ならば、いじめに使われるということがあります。ところが、それはあくまで血液型性格判断を「いじめのネタ」として利用しているだけであって、「血液型性格判断が事実か?、否か?」ということはそもそもほとんど問題に関係しない。
    ちょうどこれと逆の話で、「血液型性格判断は科学的でない」ということをいじめのネタに使うこともできる訳です。GENさんが懸念されているのは、例えばそういったことなのでしょう。「血液型性格判断は科学的でない」と指摘するだけなら何ら問題はないのです。そのことを使って「血液型性格判断を信じている奴って馬鹿だよね」とやったりすることの問題です。

    それから、【科学であると誤解されていることが、被害を発生させている】ような状況についてはGENさんの要望は妥当ではありません。ところが、そのような状況が【ニセ科学と言われる物全般】に当て嵌まるか、と言えば、そうではない。GENさんの要望が妥当である場合も多いと思います。

  8. Gen Says:

    イカフライさん

    >ところが「疑似科学」批判に熱心な人たちにはある共通項があって、ちょっとした異論を差し挟むとぎゃっととびあがる。

    それは過度の一般化であるかと思います。疑似科学批判者にも、色々な方がおられるみたいです。(私が偉そうに言えた立場ではないのですが)

    >おるさん

    明確に言語化できなかった部分が、随分とスッキリしました。的確なリプライ、どうもありがとうございました。

  9. イカフライ Says:

    >それは過度の一般化であるかと思います。

    【「疑似科学」批判に熱心な人たち】と書いておりますように、過度に反応している一部のひとたちという意味です。
    わたしも「擬似科学批判者」がすべて過敏な反応をするとは毛頭思っていません。
    論点はそんな枝葉なところにあるのではなく、人の意見はもっと太いラインで読み取ってもらえませんか。

  10. siki Says:

    >9 イカフライさん
    >過度に反応している一部のひとたち
    具体的に誰なんでしょうか?

    変にぼかして書かれていると、存在しない相手について議論することにもなりかねないので、できれば具体的にお願いします。

  11. リンク有 Says:

    イベントホライズンへの道: 外は相変わらずの雪 仕方が無いのでネット内をうろうろ そしたら疑似科学批判の問題点を指摘している方を発見
    http://eventhorizon.seesaa.net/article/82217379.html

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