1月 28

bicycle
Ricoh GX100 / Shibuya / Tokyo.

※様々なところからリンクを張られて騒ぎが大きくなっているみたいなので注記しておきますが、【科学であると誤解されていることが被害を発生させている状況】について、疑似科学を肯定する気は全くありません。本記事は、「水からの伝言」を肯定するものではありません。「血液型性格論を信じている奴って馬鹿だよね」的な(素朴な)暴力について懸念を表明した文章であり、疑似科学批判全般を批判する意図は一切ありません。

 科学系Blogの中でとても秀逸だなぁと感じる幻影随想さんが、「科学というモノサシ」なる記事を書かれていた。要は、疑似科学批判は、科学のモノサシ(実証=観察と実験から導かれたデータ)に則って「科学」の領域で行われているけれど、疑似科学批判を批判する人たちは、「自分のモノサシ」を手に「疑似科学批判批判」を行っている。だから噛み合わないよね。そして、トンデモ科学批判を批判する人たちは、実は「絶望した!科学のモノサシに絶望した!」と叫んでいるだけなのだというお話。

 以前書いたとおり、疑似科学は、自然科学によって提供される因果的説明を別の因果的物語に帰することによって拒否するものだ。すなわち、疑似科学とは、科学的な説明形態を、反科学的(非実証的)で神秘的な、しかしなお因果的な説明と置き換えることだ。たとえば、ガンにかかったのはガン細胞が原因なのではなく、わたしたちの罪深さが原因なのだといったように。

 では、なぜ人々は疑似科学に惹きつけられるのか?1.人々は「生きる意味」や「いかに生きるべきか」(What it should be?)を知りたいとつねづね思っていて、「生きる意味」を教えてくれる知識に影響を受けやすい。2.科学は「生きる意味」を教えてくれない。「科学のモノサシ」(実証)にきちんと従っている科学は、絶対に、事実(What it is?)しか語らない。3.疑似科学は、科学っぽい因果の語り口を利用して、「生きる意味」を語ってみせる(たとえば、進化論を否定する創造説は、いかに生きるべきかを説くキリスト教と表裏一体)。4.だから、「科学のモノサシ」に慣れ親しんでいない人たちは、疑似科学の方に魅力を感じやすい。5.科学者が「科学のモノサシ」に則って疑似科学を批判するとき、彼らが批判しているのはあくまで事実認識についてであって、「いかに生きるべきか」については何も言及していない。でも、疑似科学を批判されたとき、疑似科学を信じている人は、自分の生き方(「いかに生きるべきか」)そのものを批判されたように感じてしまう。科学者は「What it is?」を議論しているのに、疑似科学信仰者は「What it should be?」を議論していると勘違いしてしまう。6.だから、話が噛み合わない。これはまぁ、はてブにも書いた話です。

 もちろん、科学が主張する「事実」は、あくまで「反証されていない」ことに担保された暫定的なものであって、絶対的な「事実」ではない。絶対的な「事実」はこの世に存在しない。しかし、「科学のモノサシ」に則って実験と観察を経た上で出された(暫定的な)「事実」は、人々の主観的な思いこみに比べれば、より信頼性が高いことは間違いない。

 それでも、自分はときどき、疑似科学批判を得意げにおこなう人たちに気持ち悪さを感じる。たとえば、疑似科学を信じている人たちを、「トンデモさん」と呼ぶ人がいる。こりゃ、あかんやろ。「トンデモさん」というとき、疑似科学批判者は、批判対象の全人格を否定してしまっている。つまり、「科学のモノサシ」に則ってあくまで事実認識をたしなめるだけではなく、彼の生き様そのものを批判してしまっている。そこには、「知的で優秀な俺様が無知なおまえを啓蒙してやるぜ」という態度が見え透いている。

 疑似科学批判者に感じる気持ち悪さの最大のポイントは、ここにある。科学は「どう生きるべきか?」「どのような人間が優秀か?」「どのような人生がより価値が高いのか?」を絶対に明らかにしない。だからこそ、疑似科学を批判する人たちは、よりいっそう謙虚であれ、慎重であれ、と自分は思う。「トンデモさん」と名づけ疑似科学信仰者を批判するとき、科学者は一線を踏み越えてしまっている。疑似科学を信じている人が、どのように生きようと自由なのだ。科学者が一線を踏み越えて相手を「嘲笑」するとき、疑似科学信仰者は、自分の生き様を全否定されたように感じて、ますます反発するだろう。科学者は、あくまで事実認識をたしなめることしかできない。そのことに謙虚であってほしいと思う。「疑似科学を信じている人よりも自分は優秀だ」と感じているならば、それは勘違いだ。あくまで「科学のモノサシ」の内部においてより優秀なだけだ。たったそれだけのことなのだ。「科学のモノサシ」以外にもさまざまな「モノサシ」はありうる。そのことに謙虚であってほしいな、と願う。批判対象(疑似科学を信じている人たち)に対し、むしろ「あなたの生き様は認めますよ」という肯定的なメッセージを発する必要があるのではないか

 大多数の一般市民にとって、科学はとても難しい。なにが正しいのか、あれこれ詳細を吟味している能力も時間的余裕もない(毎日仕事がある)。たとえば、ダーウィンの進化論を本気で理解しようとしたら、とても骨が折れる。だから、「フツウの人」は、いずれにしろ「信じる」しかないのだ。専門家が正しいと言う科学(たとえば進化論)を信じるか、身近な人格者が正しいという疑似科学(たとえば創造説)を信じるか。彼はいずれにせよ「信じる」しかない。だからこそ、「信じて」もらうためにも、よりいっそう謙虚であることが求められるのではないかと強く思うのだ。

>>追記


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8 Responses to “疑似科学を批判する人は謙虚であれ”

  1. 思索の海 Says:

    [学問]いくつかの疑似科学批判批判?についてのいくつかの違和…

    ※このエントリの内容は多少自意識過剰/過剰防衛気味であるかもしれませんが、どうにも最近もやもやっとさせられることが多いので、少し吐き出しておきます。同じようにもやもや (more…)

  2. 黒猫亭日乗 Says:

    自らの伝言…

    無粋な騒動も落ち着けたし、そろそろ通常営業に戻ろうかと考えていた矢先だったのだが、どうもこの正月から始まったニセ科学批判を巡る一連の動きは、まだまだ終息してはいなかった (more…)

  3. ふじ Says:

    非常に適切な応答ですね

    >んん~~・・、なかなかここのブログ・・ 的確ですね。
    http://saisentannomizude-zennojyunkanwo.blogzine.jp/densi/2008/02/post_cef2.html

    > ※様々なところからリンクを張られて騒ぎが大きくなっているみたいなので注記しておきますが、【科学であると誤解されていることが被害を発生させている状況】について、疑似科学を肯定する気は全くありません。

  4. げん Says:

    血液凝固に関する4分類に、時間をかけて複雑に織り成される性格を当てはめることほど傲慢で不遜なことはないと思いますし
    それは妄信ではなく、普通に生き、思考を重ねれば容易に理解できることだと思います。
    僕も例えば「街角でいかに生きるべきかを占いという形で人に伝える女性」にひとかどの尊敬の念を抱いたりもしますが
    血液型云々に関しては、差別を助長し、科学的態度(証拠がないことは信じない)を妨げるだけのような気がします。
    そして内心では「血液型性格論を信じている奴って馬鹿!」と強く思いますが
    勿論そんなことを表明することはしませんし、目前でその手の会話がなされても黙ってうつむくのみです。
    でも僕は疑似科学批判は強く行われるべきだと思いますし、あなたが気に障ったのは
    そのやり方があまりに「得意げ」に過ぎたからであるだけだと思いたいです。

  5. Gen Says:

    げんさん、はじめまして。

    >普通に生き、思考を重ねれば容易に理解できることだと思います。

    それが普通に生き、思考を重ねても理解できないことなのです。「心理学 バイアス」「ヒューリスティクス」「行動経済学」で検索をかければわかるように、人間が従来有している自然的態度は、世界を科学的に把握するようには出来ていません。もちろん例外はありますが、基本的に、特殊な訓練を積んだ者しか科学的認識に到達できないのです。(少なくとも血液型性格論に関しては)

    >そして内心では「血液型性格論を信じている奴って馬鹿!」と強く思いますが
    勿論そんなことを表明することはしませんし、目前でその手の会話がなされても黙ってうつむくのみです。
    でも僕は疑似科学批判は強く行われるべきだと思いますし、あなたが気に障ったのは
    そのやり方があまりに「得意げ」に過ぎたからであるだけだと思いたいです。

    線引きやリソース配分が大事なのかな、と思います。叩くべき時と、放置する優しさを持つべき時がある。また、叩くべき対象と、あえて叩く必要はない対象がある。「それを叩くくらいなら他のもっと叩くべき対象があるじゃん」、という対象です。水伝に関しては完全に疑似科学批判者側が正しいでしょう。批判者の活動には敬意を抱いています。しかし、身近な人間が「あたしA型だから神経質なんだよね」と言ったとき、それをあえて訂正すべきかどうか?といわれれば、悩んでしまいます。具体的な被害が発生していない状況では、放置すべき時もある。世界を物語的に把握するプロトタイプとして、「あたしA型だから神経質なんだよね」と、「あたしにはキリストがついているから大丈夫」は、それほど大差がないように思われるのです。少なくとも、「バカだよね」と発言してはならないでしょう(バカだと心の中で思うのは自由ですが)。もちろん、血液型で採用を決める企業があらわれたならば、その暁には、徹底的に批判すべきだと思いますけれども。

  6. 疑似科学 Says:

    疑似科学・トンデモ科学と関わりのある研究者は、
    不正論文を発表したり、研究不正を行っている可能性が高い。
    名古屋市立大学の岡嶋研二教授 = 育毛商法(カプサイシン+イソフラボン育毛法など)
    http://blog.goo.ne.jp/nagoya-cu
    琉球大学の森直樹教授 = フコイダン商法
    http://blog.goo.ne.jp/naoki_mori
    鳥取大学の汐田剛史教授 = 還元水商法
    http://blog.goo.ne.jp/tottori-u
    九州大学の白畑實隆教授 = 還元水商法、フコイダン商法
    http://blog.goo.ne.jp/kyushu-u/
    論文捏造
    http://blog.goo.ne.jp/netsuzou

  7. PROTE23 Says:

    私は、森羅万象は物理法則に従っていると考える物理主義者なので、疑似科学は認めません。しかし、いや、物理主義であるからこそ、鍼灸をはじめとする物理療法は疑似科学ではないのです。生体は物質から構成されており、物質は物理法則に従っているのです。それならば、生体は物理的作用に反応することは当然であり、何の不思議もありません。

    しかし、これまでは、どのように作用を加えたとき、どのような反応が起きるか、ということを法則化できず、その原理を説明できなかったために、生命現象を化学的に考える現代医学から疑似科学という烙印を押されていたのです。生命現象を化学的ではなく物理的に考え、ある物理法則によって説明すると何の矛盾もなく合理的に理解できるのです。物理療法は、現代医学をはるかに上回る最強の治療法です。

    医師たちが、科学の体系をきちんと理解していないために、物理療法を疑似科学として糾弾している。治療理論の統一がされない医学の現状については、医師たちに責任があることを自覚され反省を求めたい。

  8. 偽物ニンゲン Says:

    偽科学批判者は、過去の有名人の偉大さを隠蓑としている引きこもりですね。

    デモを一回ぐらいしろって。

    格好悪いからしないというなら、自分達の意見を反映する議員を支援するとか、立候補しろ。

    それが出来ない上に学校教育の見直しとか改善も言わない辺り、いい加減、サヨク未満の引きこもりと理解して。

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