1月 27

It's a small world.
RIcoh GR Digital / Onomichi / Hiroshima.

 MITメディアラボの教授、石井裕さんが書いた「テレビの未来」という記事を読んでふと感じたことを。この記事は、要は、テレビは「時間軸に沿ってシーケンシャルにしかアクセスできない、かつての磁気テープ装置と同じような、本質的な効率のボトルネックを内包している」ものであり、「情報の受動的消費」しか許してくれない。それに対し、インターネットを使った「情報のオン・デマンド収集」では、目的の情報に素早く辿り着ける「ランダムアクセス」が可能になる。だから、未来は「テレビがない家庭」があたりまえの光景になるだろう、と語っている。

 自分もテレビ観てないなぁ。F1と野球とサッカーの中継をのぞけば、かれこれ3年近くスイッチを押していない。今ふとテレビの電源を入れようとしたら、うんともすんともいわないでやんの。いつのまにやら壊れていた。もちろん、自分は根っからのネットジャンキーなので、問題はないし、なにも焦らない。だから、石井さんの問題意識には強く同意する。でも、その記事を読むと、なにかがひっかかる。

 <ネットユーザー=文明人/テレビユーザー=未開人>、という啓蒙主義的(植民地主義的)な構図がまんま見て取れるからなのだろう。彼の記事には、「テレビを観る人間は知的じゃない」というエリート意識が色濃く滲んでいる。「未来はここにありますよ、あはは」的な。それはたとえば、何かを調べるときGoogleを使って検索する人が、Yahoo!を使って検索する人を見下しているような気持ち悪さに近い。啓蒙主義と差別主義は紙一重。それぞれの人にとって快適なメディアとの関わり方は多元的にありうることを、技術の先端で活躍している人間は見落としがちだ。ライフスタイルに優劣はない。<脱テレビ=未来>と語るとき、彼は「未開」から「文明」へと社会が「進化」するという、あの忌まわしい物語構造に嵌り込んでいる。

 それでも、普段観ない人間にとって、テレビは暴力的な存在だ。たとえば旅館に知人と泊まったとき、かならず誰かがテレビの電源を入れる。勘弁してくれ、と思う。苦痛で仕方ない。テレビがついていると、精神的に疲労困憊してしまう。嫌なら観なければいいじゃないか、と言うかもしれない。でも、音は防ぎようがない。テレビの音はすさまじく侵襲的だ。過剰な笑い声、過剰な叫び声、聞きたくもない自分語り、どうでもいい企業名の連呼。いろいろなものが暴力的に体内に入り込んでくる。これは防ぎようがない。そして、刺すような音の痛みに、時間を剥奪されてしまう。残るのは、むなしい疲労だけ。テレビの暴力性は、映像ではなく、音にある。

 だから、もし石井さんがいうようにテレビ世代からネット世代への移り変わりが生じるならば、音を巡った争いが勃発することは容易に想像できる。実際に自分も、実家に帰ったときは、いつもテレビ派の父と音空間の主導権をめぐって争っている。あるいは、テレビを観ない人が社会の大多数を占め、テレビの音声がタバコの副流煙と同じ扱いを受ける日がやって来るかもしれない。たとえば食堂のテレビや、病院のテレビなどで。

 朝食を食べながら「めざましテレビ」を毎日観るような人にとって、テレビの音声は違和感なくおさまる日常の「音景」(サウンドスケープ)の一部なのだろう。むしろ、それがないと居心地が悪くなるのかもしれない。でも、普段観ない人間にとって、テレビの音景はこのうえなく破壊的なのだ。そして何より哀しいのは、テレビの音景が、わたしとあなたのかけがえのない触れ合いを切り裂いてしまうこと。誰かのどうでもいい笑い声や自分語りに邪魔されずに、もっともっと真剣に、一緒に、言葉を交わしたいし、見つめ合いたい。芸人の内輪トークに妨害されずに、あなた自身の内輪ネタをきちんと聴き届けたい。テレビが与えてくれる安易な話題に頼らずに、二人で悶々と苦闘しながら会話を紡ぐからこそ、きっと、その時間は記憶にひっかかるものになるのだと自分は思う。もちろん、だから一緒に居るとき絶対にテレビをつけるな、とは言わない。でも、テレビの騒がしい音景に大切ななにかを奪われてしまう人間もいるのだ、ということを、心の片隅に置いておいてほしいとは思うのです。


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4 Responses to “テレビの暴力的な音景”

  1. gigio Says:

    まったくの同感です。
    私は、私以外の家族がテレビがついているのが当たり前、という人たちなので、私がテレビを消してもいつもまにかついています。
    本当にテレビの音には疲れます。ときどき居たたまれなく苦痛になって
    別の部屋に移動することもありますが、音が漏れてくるので休まりません。
    特にバラエティー番組の異常な騒ぎ振りには耐えられません。
    本当に嫌煙権と同じく嫌音権があればいいのに、と思います。
    今は、理解してくれる人が少なく、え?どうしてテレビの音がだめなの?と
    いわれてしまいますが、近い将来、健康被害がでてくる人もいるんじゃないかとおもっています。そのくらいテレビの音は暴力的です。

  2. Galvin Says:

    確かにネット上にはたくさんの情報源があり、活用するもの同志交流がはかれ、この上なく便利で素晴らしいですが、テレビが全てお笑い芸人で成り立っているわけではないですよ。あえてスポーツとお笑いを除いても、中には素晴らしい番組が多々あります。それよりも自分の子供が将来、一般的な笑いも理解出来ないような、偏った人間にはなって欲しくないものです(お互いのことを理解して歩み寄ろう)。目の前の人の会話であれ、聴いてない人にとって音は何であれ、耳障りなものです。

  3. kk Says:

    「テレビ」「音の暴力」で検索してこのブログに来ました。
    現実として、うちの家庭では、ネット好きな子供と私がテレビをいつも消して、
    テレビ好きなうちの妻がテレビをつける、という構図になっています。

    テレビを見るならワイヤレスで飛ばしてイヤホンで聞いてほしいと思います。

  4. OR Says:

    上記の記事と同じことで悩んでおり、テレビをつけっぱなしでないと安らげない夫に対しての罪悪感さえいだいておりました。

    上記の記事を読んで涙が出そうになりました。代弁してくださってありがとうございます。

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