1月 18

Vietnam Ho Chi Minh#10
Nikon FM3A / Agfa Vista100 / Ho Chi Minh / Vietnam.

 Amazonで高評価な『自分の仕事をつくる』を友人に借りて読んだので、さらっと書評。文字数が少ないので、1時間ちょいあれば読める本。ひとことでいえば、マルクス主義的な人間疎外されないものづくりのあり方を、現代の職人たちに見出したフィールドワーク本。あるいは、お金のためではなく自分が妥協しないものづくりに命を燃やす人にインタヴューするという点で、実存主義的な労働のあり方を具体的に探ってみた本。以前書いた岡本太郎の思想をリアルに実践している人たちのお話、と言っても良い。どちらかといえばデザイン系中心。

 巷にあふれているくだらない自己啓発本(たとえば『7つの習慣』)やLifehackの記事を読むよりは、1000倍マシな真の「自己啓発本」。仕事とは何だろうか?と考えている人は、ぜひ読んでみてくださいな。西村さんは本書では「働き方研究家」と名乗っているけれど、ググってみると、どうやらプランニング・ディレクターらしい。著者の問題意識はつぎのとおり。(以下、[]記号内は引用者の補足、強調部も引用者のもの)

 人間は「あなたは大切な存在で、生きている価値がある」というメッセージを、つねに探し求めている生き物だと思う。(中略)「こんなものでいい」と思いながらつくられたものは、それを手にする人の存在を否定する。(中略)この世界は一人一人の小さな「仕事」の累積なのだから、世界が変わる方法はどこか余所にではなく、じつは一人一人の手元にある。多くの人が「自分」を疎外して働いた結果、それを手にした人をも疎外する社会が出来上がるわけだが、同じ構造[を反転させること]で逆の成果を生み出すこともできる。問題は、なぜ多くの人がそれをできないのか、ということになるが、まずはいくつかの働き方をたずねるところから始めてみたい。


 西村さんはまず、デザイナーの八木保さんのアトリエを訪れ、こういう含意を引き出す。あるものを作るとき、その色を色見本で指定してしまうと、逆にわたしたちの世界観が狭くなってしまうのではないか。色見本で桃色を指定するのと、実際の桃の果実を手渡して「こういう風にしてくれ」というのでは、まったくちがう。コンピューター画面の表現能力は1670万色、パントーンの色見本帖は1100色で構成されているけれど、世界は1670万色でも1100色でもない。道具の精度によってものづくりの精度が規定されてしまう。だから、本人の「解像力」(世界を感じ取る解像力)が重要なのだ、と。作り手の観察力が低ければ、なんでもすぐに完成してしまう。これは本当にそうだなぁ、とは思う。村上春樹もかつて「ぼくはとにかく人の話を聴き続けることからはじめました」といっていた。以前アンリ・カルティエ・ブレッソンについて書いた記事で引用した、この言葉を想い出してもいいだろう。

 知覚するとき、表現するとき、私たちが知っているのは、ただ何かが始まっているという、そのことだけである。何が始まっているのか、そのことはわからないままに、すでに知覚も表現も動き出しているのである。知覚は知覚者の死以外では終わらない。表現はいつでも人為的に終了できる。表現とは<終わらせる>ことでもある。(佐々木正人)

 とまぁ、こんな感じで著者は、柳宗理やプラモデル職人やサーフボート職人やパン屋なども含めて、12人にインタヴューを敢行していく。その中で気になった、いくつかの示唆的な言葉を抜き書きしながら、寸評をつけていこう。

 ファシリテーター(facilitator)とは、トップダウン型のリーダーシップやディレクションとは異なる、支援者的な存在を指す。スポーツ選手に対するコーチは、そのわかりやすい一例だろう。(中略)ファシリテーターという職能は、これまでおもにワークショップの分野で成長してきた。ワークショップとは、教え/教えられるといった主従関係のもとに行われる旧来の教育とは異なり、参加者ひとりひとりの主体性を軸に、あらかじめ決められた答えのない課題について、体験的に学び合う場をいう。

 しかしこうした場も、ただ主体的な人々が集まれば自然にうまく運営されるかというと、決してそうではない。明示的にであれ暗示的にであれ、指導や管理ではなく、ほどよくファシリテイトする存在を欠かすことはできない。よいミーティングやモノづくりの現場には、かならずこの役割を担う人が存在している。あるいは集まった人々のうちの何人かが、互いにその役目を担い合っていることが多い。ファシリテーターは、これまでのリーダーやディレクター像にかわる、これからのプロジェクト・マネージャー像を提供してくれているように思う。(p.109)

 トップダウン型のリーダーシップに率いられるのでもなく、ボトムアップ的な「集合知」に埋没してしまうのでもない、その中間の道を指し示す「ファシリテーター」という概念。これの可能性と限界を少しリサーチしてみたいと感じた。

 強く思ったのは、エコロジーとはイデオロギーの問題ではなく、センスの問題であるということだ。環境問題にしてもトップダウンの理念ではなく、何を美しいと思うか、心地良く感じるかという世界の感じ方から捉えることが、大切なのだと思う(p.182;美意識としての環境問題)

 これは本当にそうだと思う。環境保護団体がある意味うさんくさいのは、彼らが彼らの美意識を押しつけてくるように感じられるからだ。環境問題は理念で解決できる類の問題ではない。もちろん、二酸化炭素の排出量規制など、システムとして人間行動を制限することは必要だ。しかし、元来、エコロジーというものは、個人個人の世界観、美意識に深く根ざした問題だ。だからこそ、世界を変えるのは難しいし、途方もない時間がかかってしまう。

 やっぱり、身体を含むモノづくりの環境すべてが、すごく大事だなって思います。身体がいい状態にないと、いい発想どころか発想そのものがなくなるし、押しつぶされちゃう。たとえば、お腹がいっぱいだと、風が肌を撫でる感じとか、雑木林の匂いとか、そういうことも感じなくなってしまう部分があると思います。歳のなかで情報に埋もれていると、感覚を常に閉じて鈍感な状態にしていないと、やっていけなくなってしまうでしょう。(中略)

 自分がつくっているものは、自分に必要だからつくるんです。この茶碗も、ただ売るためにつくり出しているのではなくて、まず自分が使いたい。あとでカフェで使いたい。目的はハッキリしている。そうでないとぼくはモノをつくれない。(中略)自分が欲しいものを少し多めにつくって、”好きな人がいたらどうぞ”っていうスタイルです。少しでも多くのモノをつくって売ろうとなると、いちばん安易なところにチューニングしていくしかないじゃないですか。しかしそれは、確実に目的を見失いますよね。(p.199;身体もモノづくりの環境である)

 これはむかし原研哉が「欲望のエデュケーション」という言葉で語っていたことに近いですね。マーケティングにもとづいた物作りを行うと、実に凡庸な製品が生まれてきやすい。人々の最大公約数的な欲望を抽出すると、あまりにつまらないものが生まれてしまう(たとえばハリウッド映画のように)。もちろん、大量生産で生産性が向上することによって、わたしたちの社会は豊かになった。誰でも車に乗れる社会は素晴らしい。この点を見落とした議論は片手落ちだ(この本の筆者はそれを見落としがちかもしれない)。しかし、マーケティングを拒絶して、「俺はこれが素敵だと思うんだ!」という自分自身の嗜好を極めていった結果、個人から全体性に至るという道もありうるんですよね(いちばんわかりやすいのは芸術)。それを忘れてはいけない。

 そもそも模型[プラモデル]なんて生活必需品ではない。僕らのような仕事がなくなったところで、誰も困りはしないでしょう。だからこそ、つくる側が楽しんでいなかったら嘘ですよね。最初から遊びの世界なんだから、馬鹿みたいに思いっきりこだわった仕事をした方がいいと思うんです。(p.216;「つくり手の気持ち」という品質)

 これは純粋に素敵な言葉。

 馬鹿がする仕事の素晴らしさは、それが無償のものであることに尽きる。そこには自己証明すらない。(中略)「自分の仕事」という言葉からは、自我の確立や自己実現といったテーマが連想されやすいかもしれないが、ある意味では自我や自己など、小さな切れ目のようなものにすぎない。(中略)無償であるとは、目的性を欠いているということでもある。後先を考えない人は「馬鹿」と称されやすい。しかし未来は、今この瞬間の累積以外の何ものでもない。最も退屈な馬鹿とは、いますぐに始めればいいことを、「明日から」「来年からは」と先送りにする人を指すのだと思う。

 [ここで哲学者・鷲田清一の言葉を引用して] たとえば企業での仕事を考えてみよう。ある事業(project)を立ち上げるときに、まず利益(profit)の見込み(prospect)を考える。その見通しが立ったなら、計画(program)作りに入る。そしていよいよ生産(production)にとりかかり、販売がうまくいけば約束手形(promissory note)で支払いを受ける。そしてこの事業が全体として会社の前進(progress)に寄与したことが明らかになれば、担当者には昇進(promotion)が待っている。できすぎなほどの”pro”の羅列である。”pro”とはラテン語の接頭辞で、”前”とか”先”、あるいは”あらかじめ”を意味する。このようにわたしたちは、未来の決済を前提にその準備として、いまなすべきことを考えてきた。(p.221)

 これは岡本太郎やニーチェの思想と近似していますね。「無償」とは「金銭的見返りを求めない」ということではない。それは、なにものにも従属させない、今現在の己の命を燃やすということにほかならない。はてなダイアリーに書いた岡本太郎についてのメモもよければ参照してみてください。

 空間を自由に使うことができれば、人は自然に内容に相応しい座り方、空間の使いこなし方を選ぶ。が、席の配置やテーブルの形が固定的にあたえられているため、自然なコミュニケーションが疎外されている。(中略)強い参加性が必要とされるミーティングでは、テーブルは一枚板か、すくなくともひと繋がりに連続している大机。しかも長方形などの対面型とせず、できるだけ円か正方形に近い方がよい。(中略)「対面型のテーブルだと緊張して商談がまとまりませんよ」。(p.236;空間は人に働きかける)

 これも純粋に面白い。個人的に、居酒屋とかで対面式の座席は苦手なんですよ。空いていれば、絶対にカウンター席(横並び)を選んでしまう。

 仕事とは、社会の中に自分を位置づけるメディアである。それは単に金銭を得るためだけの手段ではない。人間が社会的な生き物である以上、生涯における「仕事」の重要性は変わることがないだろう。自分が価値のある存在であること、必要とされていること。こうした情報を自身に与えてくれる仕事には求心力がある。あらゆる仕事はなんらかの形で、その人を世界の中に位置づける。(中略)人はどんなに大金持ちになっても、なんらかの形で働こうとする生き物だろう。(中略)それは人間が、外の世界との関わり合いを通じてしか自分が存在する実感を得ることができず、またそれを常に渇望していることを示している。(p.246)

 これも重要な点で、「労働」は金銭的価値に還元されるわけではない、という当たり前だけれども見落としがちな点を指摘している。「仕事とは、社会の中に自分を位置づけるメディア(媒体)である」という表現は、実にシンプルだけれども、力強く本質を射抜いている。

 「意味のあること」「意味のないこと」。この二つが並んでいたら、人は意味があると思える方を選択する。人間という生き物は、意味を食べて生きる動物であり、意味がないと感じられることを長時間つづけることは出来ない。(中略)たとえば、二人のバケツの間で水を入れ替える作業を無限に繰り返させるという刑罰が、昔のロシアにはあったという。(p.248)

 人間は自身の物語を生きる存在だ、ということ。そしてその意味を見出すのは他ならぬ自分自身なんだ、という点を付け加えておきたい。たとえば、バケツの水を入れ替える作業を強制されたとしても、その作業に意味を発見することだって可能だ。「今度はより早く入れ替えてみよう」とか、「一滴も零さないように入れ替えてみよう」とか、「命をつなぐための修行なんだ」とか。

 そして筆者は、12人へのインタビューを通して、次のような結論にたどりつく。これはとても面白い指摘だと思う。

 ひとつの疑問が浮かびあがってきた。”私たちは本当に会社に能力を売ることで対価を得ているのか?”という疑問である。人は能力を売るというより「仕事を手に入れる」ために、会社へ通っている。そんな側面はないだろうか。(中略)先にも触れたとおり、仕事は自分を社会と関係づける重要なメディアである。日本のような企業社会では、「仕事」という資源はとくに会社に集まっている。私たちは野菜や食料を買うために、スーパーマーケットへ出かける。それと同じく、会社とは、「仕事」という商品の在庫をかかえたスーパーマーケットのようなものだと考えてみる。小さな会社は、商品(仕事)の品揃えが少ない。大きな会社は売り場面積も広く、商品(仕事)の品揃えや種類も豊富だ。(中略)ワーカーが能力を売っているというより、会社が「仕事を売って」いるのである。ところで、私たちが会社から仕事を買っているとしたら、そこで支払っている対価はなんだろう。それは「時間」である。そして時間とは、私たちの「いのち」そのものである。(p.256)

 これが著者の暫定的なまとめ方です。「会社に自分が所属する」という意識を持つ人間はとことんダメというか社畜なんだろうなぁ、とは思う。会社はあくまで仕事をくれる場所。あるいは、自分と仕事を媒介してくれるインターフェース。たとえ零細企業に勤めるサラリーマンであれ、自分が自営業者だという意識を持たないサラリーマンは、人生の意味を会社に埋没させてしまう。これを「キャリアデザインが大事」などと呼んでしまえば、つまらない話になってしまうわけだけれども、出世のためだけじゃなく、金銭のためだけでもなく、人はみな己の命を燃やすという意味において自営業者なわけです。そうやって「意味」を発見できれば、明日も生きてゆくことができる。

 最後に、あとがきの項で、著者はこのような独白を行う。

 最大の敵は、常に自意識である。個性的であろうとするよりも、ただ無我夢中でやるほうが、結果として個性的な仕事が生まれる。仕事は、自分を誇示する手段ではなく、自分と他人に対するギフト(贈与)であり、それが結果としてお互いを満たす。これは理想論だろうか。(中略)仕事には大きく二つあると思う。「ありがとう」といわれる仕事と、そうではない仕事だ。(p.264)

 たしかに、理論的観点からみれば目新しい点がそれほどない本だし、本の値段も決して安くない。でも、抽象的な思考ではなく具体的に問題に取り組もうとするとき、個々のインタビューはきっと素敵な資源となるはずだし、なによりも、西村さんの熱い想いや生き様がじんわりとゆっくりと伝わってきた。その意味で、いい仕事をなさったと思います。最後にひとこと。ありがとう!

自分の仕事をつくる
自分の仕事をつくる
posted with amazlet on 08.01.18
西村 佳哲
晶文社 (2003/10/01)
売り上げランキング: 3788
おすすめ度の平均: 4.5

5 スタイルの見直しを薦めてくれる本
4 実例が分かりやすい
5 すべての働く人たち、これから働く人たちへおすすめできる一冊


1 Star2 Stars3 Stars4 Stars5 Stars (2 votes, average: 5.00 out of 5)
Loading...Loading...
11,300 views | add to hatena hatena.comment 15 users add to del.icio.us 0 user add to livedoor.clip 0 user |  http://plaisir.genxx.com/wp-trackback.php?p=171



Amazon Related Search

2 Responses to “自分の仕事をつくる / 西村佳哲”

  1. 山焼きと追想(4) Says:

    […] 「自分の仕事をつくる」という本に出てきたパタゴニアを思い出しました。 […]

  2. 自分の仕事を作る。でっきるっかなでっきるっかな。 | えんぞう Says:

    […] 書評に関してはgenxxさんの 自分の仕事をつくる / 西村佳哲 – plaisir.genxx.com plaisir.genxx.com/?p=171 […]

Leave a Reply