12月 20


Dual-process theories of thinking. (Slovic et al., 2004) 1)Risk as Analysis and Risk as Feelings: Some Thoughts about Affect, Reason, Risk, and Rationality(P Slovic, ML Finucane, E Peters, DG MacGregor – Risk Analysis, 2004)

 前回の記事、「論理的思考は異常な状態」では、論理的・分析的な思考を「異常」という言葉で形容してしまい、いささか乱暴だったので、心理学の論文に厳密に即して補足を加えておきます(まず前回の記事を読んでいただければ嬉しいです)。思考の二重処理仮説はひとつの仮説ですが、かなり信憑性の高い仮説だと個人的に考えています。認知科学に興味のある方、前回の記事が面白かったという方は、ぜひどうぞ。

 まずは、上図の左側、「感情的・物語的思考システム(Experimental System=経験的思考システム)」の中身を日本語に意訳します。

1.全体論的である(個別の内容ではなく、大まかな方向性を決める)
2.感情に基づき、快を増大させ不快を減少させるよう働く
3.連想効果が働く
4.過去の経験から失敗を学習し、それが行動に影響を与える(ある経験の記憶に感情的な快/不快のマーカーが埋め込まれる。たとえば、沸騰したやかんに触ってやけどをすれば、沸騰したやかんに「不快」というラベルが貼られ、以後、沸騰したやかんを触らなくなる)
5.現実を、具体的なイメージ・メタファー・物語によってエンコードする
6.より素早い処理が可能であり、素早く動くことを可能にする
7.自分の経験に重きが置かれ、経験したことは信じるようになる

 次に、上図の右側、「論理的・分析的思考システム(Analytic System)」の中身を日本語に意訳します。

1.分析的である
2.論理的であり、根拠を重視する
3.論理的なつながりが働く
4.ある出来事を意識的に評価することによって行動が決まる
5.現実を、抽象的な記号・言葉・数字によってエンコードする
6.よりゆっくりとした処理になり、時間的余裕のある行動に向いている
7.論理と証拠による正当化を必要とする

 つづいて、感情的・物語的思考システム(以下、感情システムと略記)について詳述します。感情システムに頼ることは、複雑・不確実・危険な世界に対処する、より素早く・簡単・効率的なやり方であり、感情システムは、行動を動機づけるにあたって主要な役割を果たします。前回書いたとおり、感情システムに頼って意志決定したからと言って、かならずしも非合理的というわけではありません。ヒトという種が進化的にかたちづくられたサバンナ環境下では、感情システムにもとづき意志決定をすることが、かなりの程度合理的でした(生存確率を上昇させてくれた)。ところが、文明社会が発達するにつれて、感情システムにもとづく意志決定が非合理的に思われるような場面が増えてきました。文明社会は人々に分析的・論理的な思考を求める場合が多いからです。

 ともあれ、意志決定における感情システムの重要性は80年代から認識されてきたのですが( Zajonc,1980)、決定的といえる研究はDamasio(1994)でした。彼は神経科学者・脳科学者であり、感情システムの神経生理学的基盤を明らかにしようと試みました。彼はsomatic marker仮説を提唱しました。この仮説は、「思考は大部分が(知覚的・記号的表象を含む)イメージから作られるのであり、それらイメージは、身体の状態と直接的に結びついたポジティヴあるいはネガティヴな感情によって印づけられている」としています。さきほど沸騰したやかんの例を書いたとおり、ある経験の記憶には、かならず感情的な快/不快のマーカーが埋め込まれるのであり、その快/不快のマーカーが人々の学習を支えているとしました。不快のマーカーが埋め込まれればあるイメージ(経験の記憶)は「その行動をもうするな!」という警告になるし、快のマーカーが埋め込まれればあるイメージ(経験の記憶)は「その行動をもっとしろ!」というインセンティブになるというわけです。つまり、感情的なマーカーが意志決定の精確さと効率を増加させてゆく。

 もちろん、感情システムと論理システムは相互作用しています。まったく独立しているわけではない。たとえば、「沸騰したものを触るとやけどする」ことについての理科的な知識を学校で習うと、沸騰したやかんへの恐怖心が生まれ、以後それを触らなくなる。この場合、論理システム→感情システム(不快マーカーの埋め込み)となっています。2つの思考様式は連続的に活性化され、相互作用する(”the dance of affect and reason”)。

 ポイントは、感情システムの導きがないと、理性的な思考も不可能になってしまうことです。感情システムは合理的行動の基礎として不可欠です。根源的に考えれば、この世のあらゆる物事・出来事の「意味」は、「快」か「不快」の2つに集約されます。人間がどんなに美しい神経生理学的な認知処理メカニズムを持っていたとしても、それはあくまで「手続き」にすぎません。アルゴリズムは手続きを描写しているのであって、手続きの内容(=意味)を描写しているわけではない。「意味」は感情を基礎にしなければもたらされない。あらゆる記憶は、快か不快のマーカーを帯びており、そのマーカーが経験の意味の基盤をかたちづくっています。

 たとえば、さきほどの沸騰したやかんの例を再度用いれば、もし沸騰したやかんが快や不快をもたらさないとすれば、沸騰したやかんについて、人間は何も記憶しなくなるでしょう。だって、快も不快も与えないならば、それは「どうでもいい」からです。感情がなければ、人は何も学習しない。感情が学習させるのは、1.快が増大すること、2.不快が減少すること、に関連した行動レパートリーだけです。1と2、どちらにも関係ないことは、全く学習されないし記憶もされない。無関係なモノ・コトを学習するコスト的な余裕など人間にはないのです。たとえば、なぜ、いま、著作権や知的財産権について人々は熱く議論しているのでしょう?それは、著作権が厳格化されると困る(=不快になる)から。不快を予測し、彼らは熱く語り合っている。感情システム(不快)を基礎として論理システムが駆動しているのです。

 すべての学習された行動(行動のレパートリー)は、その行動がどのような快楽状態を引き起こすのかという予測を伴っている(ex.熱いやかんを触る→不快:だから触らない。セックス→快感:だからしたい)。行動は、その行動がもたらす感情的な快/不快の帰結(マーカー)と共に記憶されるのです。

 また、心理学の実験からわかっているのは、 1.要求される判断が複雑で、2.心的資源が制約されている場合に、感情システムが特に用いられるということです。1について。簡単な問題ならば、論理的思考システムですぐ解決することができる。たとえば、1+1=2といったように。でも、複雑な判断を要求される場合、人間はまず感情システムによってアタリをつけて、その後に問題を細分化して、論理的システムで解決していくことになります。たとえば、「自民党か民主党か」を選択する場合、「俺は民主党には違和感を感じるな(感情システム)」→その根拠となるデータの収集・分析(論理システム)となるように。ただし、前回述べたとおり、論理的・分析的思考システムを流暢に使いこなすには、それなりの訓練が必要です。

 2について。たとえば、今晩何を食べるか考えるとします。時間的・精神的にに余裕があるならば、論理的・分析的に考えることができるでしょう。「昨日はラーメンを食べた。栄養が不足している。野菜をたっぷり食べたい。だから鍋にしよう」といった具合に。でも、忙しいときには、ぱっと判断してしまいますよね。「コンビニの弁当!」というように。このように、心的資源が制約されていればいるほど、感情的・物語的思考システムが活躍するといえます。

 とにかく、感情的・物語的思考システムについての研究は、あまりに数が少ないですね。なぜかといえば、それは感情を実験で操作的に扱うことが難しいからなんですが、それでも、感情にもっともっと脚光を当てていきたいな、それを人生のひとつのテーマにしたいな、と思う次第なのです。

References   [ + ]

1. Risk as Analysis and Risk as Feelings: Some Thoughts about Affect, Reason, Risk, and Rationality(P Slovic, ML Finucane, E Peters, DG MacGregor – Risk Analysis, 2004)

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