12月 18

christmas2007#18

Ricoh GX100 / Shibuya / Tokyo.

 1週間前くらいに決定した話だけれども、それほど注目をあびていないように思われるので、あえて記事をおこしてみる。「総務省、青少年の携帯・PHS利用でフィルタリング機能を原則義務化」というニュース。ブラックリスト方式(腐ってるサイトへのアクセス禁止)はまぁいいとして、ホワイトリスト(認可されたサイト以外アクセス禁止)が適用されたら酷すぎるだろ。多様な情報に触れる中で、善悪やリスクを判断できるようになるスキルを獲得することも、青少年期の重要な課題だと個人的には思う。たとえ時間がかかるとしても、まどろっこしいとしても、そのスキルの獲得を支援できるような教育体制を構築することを放棄すべきではない。「悪」的な情報に、まったく触れないのと、触れる中で耐性ができるのは、根本的に違うこと。情報潔癖性を量産して、どうしようというのか。とくに、携帯は、子供がインターネットの世界に触れる最も重要なインターフェースになりつつあるのだし。

 いかなる善意からの目的があるとしても、「ダメなものを禁止する」という消極的な自由の制限ではなく、「あらかじめ許されたものしか与えない」という積極的な自由の制限には、全力で反対したい。それってスターリン的な共産主義じゃないですか。言論の統制、情報閲覧の統制、アクセスの統制は絶対に積極的に行うべきものではない。話は少し変わるけれども、「ホロコーストの存在を否定するような発言自体が違法」というヨーロッパの法律も廃止すべきだと個人的には考えている。それはいわば、積極的な自由の制限。法律で発言自体を禁止すべきではない。個別の発言に対して誰かが訴訟を起こして、その人に社会的制裁を加えるという、消極的な自由の制限ならば良いのだけれども。言論の自由の制限は、フィードバック回路を通して消極的に行うべき。

 人間(ホワイトリストを作る「大人」)はつねに可謬的だし、時代状況によって善悪や「真実」の境界線は揺らぐし、なによりもすべての対象(サイト)を確認することはできない。だから、あらかじめ認可したものしか閲覧させないホワイトリストを適用して、青少年の可能性を制限すると、あまりに失うものが大きいのではないか。ふと、「資本主義はなぜ強靱であったか。社会主義はなぜ無効になったか」という美しい論文を想起した(ぜひ読んでみてください)。資本主義がブラックリスト的であるとすれば、社会主義はホワイトリスト的だ。まぁ、とにかく、ホワイトリストを適用するかブラックリストを適用するかは各キャリアの判断に委ねられているようなので、継続的に動向をチェックしていきたいですね。もしあなたが親で、ホワイトリストの適用に同意するならば、人間として腐っていると思いますよ。そこまで制限して、情けない「安全」を与えて、どうするのさ。みなさんはどう思いますか?


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