トンデモだ!と言い切る暴力性
今日は手短に。書きたいのは、「トンデモ」という認定がある種の暴力性を含んでいる側面について。「トンデモ」魔女狩りみたいな風潮がある現状に、少し違和感をおぼえている。鬼の首を取ったように、やれ誰々はトンデモだ!この理論はトンデモだ!正しい科学的知識を啓蒙しよう!と、<知的な自分は有能/大衆は無知>という対立項を確認するかのように、2chやはてなブックマーク界隈で騒ぎ立てている人たちがいる。
「忘却の穴」について考えてみろよ。たとえばある女の子が「宇宙人にレイプされた」と言ったとする。「宇宙人にレイプされた女の子を救う会事務局本部」ができたとする。彼らが活発に活動を行ったとする。「トンデモだ!」といいたくなるだろう。2chやはてなは失笑の渦で埋め尽くされるだろう。でも、もし彼女が本当に宇宙人にレイプされていたとしたら、「トンデモ」レッテルが跋扈することによって、彼女の経験は決して社会に拾われることがなくなってしまうんだよ。
アウシュビッツの極めて凄惨な体験を、それがあまりに信じがたいので、当時の人間は誰も真剣に聞き取ろうとしなかった、だから被害者たちは当初沈黙せざるをえなかったという反省から、「忘却の穴」という言葉が出てきた。本当に体験したことを、必死に伝えたいのに、でも誰もその言葉を受け止めてくれないという、ひとつの消失点。そんな消失点は社会にゴロゴロ転がっている。その消失点、忘却の穴に入り込んでしまったときの、あまりに辛くて孤独な恐怖を想像してみたことがあるかい?
科学の「真実」は、まだ反証されていないということを基礎として成立している。つまり、絶対的に正しい理論などなにひとつない。「トンデモ」と言い切るけれども、君のいうオーセンティックな理論は、まだ反証されていないことに担保されているだけだ。君はすべてを見てきたのかい?「トンデモ」と言い切れる自信はどこから来るのだい?彼女は絶対に宇宙人にレイプされていないと言い切れるのかい?ヒュームの懐疑論に謙虚であれ。
少なくとも、この世には、一切手を触れずに、煙草に両手をかざすだけで、煙草の味をまったく変えてしまうことが出来る人たちが存在している。これは、心理学という科学的トレーニングを積んだ自分がリアルに経験した「事実」だ。もちろん、「トンデモ」と主張することを全面的に否定するわけじゃないし、「トンデモ啓蒙活動」の意義も痛いほど理解できる。自分だって、血液型で性格が決まると誰かがしゃべっているのを聞けば、心底イライラする。でも、「トンデモだ!」と得意げに言い切るその前に、少しだけ謙虚であって欲しいのだ。「トンデモ」と断言するときに、もしかしたら誰かの切実な声を排除してしまっている、あるいは排除しかねない危険性を孕んでいることを、すこしだけ頭の片隅に置いておいてほしいのだ。「トンデモだ!」と嬉々満面に吐き捨てるとき、そのフレーズが、ある種のレッテル的な思考停止を引き起こしかねない暴力性について、すこしだけ自覚しておいて欲しいのだ。自戒も込めて。
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