11月 22

Cambodia Angkor Wat#1
Nikon FM3A / Agfa Ultra100 / Angkor Watt / Cambodia.

 今年の春、カンボジアを訪れた。カンボジアで何を見て何を感じたのかを、いまさらながら書いておこうと思う。撮った写真をまとめながら。

 カンボジアをいま振り返って、たちどころに脳裏に浮かび上がるのは、夜の街に立ち籠める、若者たちの猥雑な熱気だ。10代半ばから20代中盤までの男女の、時に性的なエネルギーが、ある一定の方向に統制されまとまった力となるのではなく、無秩序に、混沌として、街という容器に充満している。方向なき熱気が飛び交う若者の王国、the kingdom of youth、そう感じた。あるいは別の言い方をすれば、若者を統制する大人が少ない、人口構成比がかなり歪んでいる国、という印象を強く受けた。

 この印象を裏付けようと、カンボジアの人口ピラミッドについて調べてみた。直感は当たった。カンボジアは、ご存じのとおり、1970 年、政府の経済政策の失敗によりクーデターが勃発し、1991年にパリ会議が開催されるまでの22年間、内戦状態にあった。また、1975 年から1979 年にかけて、3年8か月のポル・ポト政権下で、およそ200万人が虐殺されたと言われている。

Cambodia#5
Nikon FM3A / Agfa Vista400

■人口統計を確認してみる

 Wikipediaに掲載されている人口統計の図をみれば、2005年時点で、25歳以上と24歳以下の人口が対照的である、つまり2007年時点では、27歳以上の人口が少ないのに、26歳以下の人口は極端に多いことがわかる。 1) カンボジアでは、1970 年、政府の経済政策の失敗により、財政が困窮する中、ロン・ノル将軍がクーデターを起こし、国家元首であるシアヌーク元国王を解任した。これを契機に、隣国のベトナム戦争がカンボジア領内にまで拡大し、以降、1991 年にパリ会議が開催されるまでの約22 年間の長きにわたって、カンボジアは戦乱に巻き込まれた。

 この22 年間の中でも、1975 年から1979 年にかけての3年8か月の間のポル・ポト政権(クメール・ルージュ政権ともいう。)下では、急進的な共産主義に基づき、都市の無人化・農村への強制移住、集団生活化、市場・通貨の廃止、宗教活動の禁止、学校教育(労働、農業及び政治を除く)の禁止等が断行され、カンボジアの伝統的な社会制度は破壊された。これらの政策に反対する者もしくは反対者とみなされた者は、次々に捕らえられ、残虐な拷問を受けた後、処刑されていった。これが世にいう「カンボジア大虐殺」である。犠牲者は200 万人ともいわれており、この大虐殺は、「心の傷」として、現在でもカンボジア国民の記憶に深く刻み込まれている。(上記pdfより引用)

 もう少し細かく見るために、1998年に実施された人口統計調査の結果をまとめた、「カンボジアの人口ピラミッド」というpdfを参照すれば、3つの事実が浮かび上がってくる。

(1)ポル・ポト政権下の急激な出生率の低下
 ポル・ポト政権下、すなわち1974 年から1979 年にかけて生まれた人たちが、極端に少ない。ポル・ポト政権は、強制移住、家族の引き裂き等を行ったからだ(参照:ポル・ポト幹部が生出演している、ニコニコ動画にある、NHK製作のドキュメンタリー番組)。つまり、2007年時点で、28歳から33歳までの人口が極端に少なくなっている。

(2)ポル・ポト政権以前に生まれた人口の少なさ
 ポル・ポト政権誕生以前に、すでに生まれていた人たちは、現時点で34歳~78歳だが、彼らのうち、男性が117 万人、女性が61 万人で、総数178 万人が虐殺された可能性が高い。

(3)34歳以上の人口における男性の少なさ
 ポル・ポト政権誕生以前に、すでに生まれていた、34歳~78歳のうち、男性の割合が極端に少ない。34歳~78歳の性比(男性人口/女性人口×100)は81.6(通常は100 前後)となっており、男性の人口が、女性の人口の8割程度にとどまっていることがわかる。(「カンボジア大虐殺」の影響を受けた可能性のある人口は、男性が117 万人、女性が61 万人で、男性の方が約2倍影響を受けたから 2)戦闘には主に男性が対処することになるため。また、もう1つの理由として、ポル・ポト政権下の弾圧の主な対象が知識人であったことが挙げられる。男性は、第2次及び第3次産業における就業率が女性よりも高いので、知識人とみなされがちであり、犠牲者が多くなったものと考えられる。(上記pdfより)

the kingdom of youth
Ricoh GR Digital

■総選挙の時期だった

 若者はあふれている。他方、それを統制する大人、とくに男性の大人が少ない。方向無きエネルギーが充満する。通常、若者のエネルギーは、少し年上の先輩によってコントロールされるものだ。兄が弟を統制し、その兄は大学の先輩に統制され、さらにその先輩は会社の上司に統制され、その上司はさらに上司に統制され…といった具合に。ところが、カンボジアでは、そのような中間層の連鎖があまり存在しない印象を受けた。コントロールの連鎖が成立しておらず、若者のエネルギーが、素粒子のようにうごめいている。

 未熟な社会制度の中に、熱気が充満している。社会制度が整備されていれば、若者は、政治や経済に関わることによって、国をより良い方向へ変革していこうとするだろう。ところが、働きかけるべき社会制度が整備されていないので、若者のエネルギーは行き場を失っているのだ。

 当然、政府は、そのエネルギーを、直接的に(中間層抜きで)利用しようとする。カンボジアは、ちょうど総選挙の頃だった。フン・セン首相率いる与党(Cambodian People Party)は、青い旗を持たせ、パレードに若者たちをかき集めていた。このパレードに参加した者は、手弁当(ごはんと少しのお小遣い)を貰うことができる。だから、子供たちや、暇な人々は、与党を宣伝するパレードを行い続ける。(ちなみに、日本に帰ってきてからEconimist誌を読むと、カンボジア政府のこの行いが批判されていたりもした)

corrupt?
Ricoh GR Digital

 パレードに参加していた彼(女)らは、何もわからないまま政府にただ利用されている、哀れな存在なのだろうか?そうは感じなかった。少なくとも、自分が見た範囲では、楽しそうに頬を緩ませている若者が多かった。大多数の人たちは、遠足気分だったんじゃないか。銃声に怯えることなく、日々の生を刻むことが出来る悦び。そして、泣いたり笑ったり怒ったりしながら、日常や非日常のささいな出来事に、生を謳歌する主体性、そういったものが伝わってきたし、それがとても嬉しかった。もちろん、この「嬉しい」という気持ちは、コロニアルな(植民地主義的な)目線に違いないのだけれども、それでも嬉しかった。本当に。

corrupt?#2
Ricoh GR Digital

■生きる

 忘れられない文章がある。カンボジアへと旅立つ前に読んだ、Economist誌の“Another day, another $1.08″という記事だ。検索してみたところ、ちょうど山形浩生さんが日本語に訳していた(日本語訳)。ぜひ読んでみてください。

 この記事は、貧困者も選択をしている、と主張する。1日をわずか1ドルで暮らさなければいけない絶対貧困者がいるとする。人間が合理的に振る舞うとしたら、彼は、このなけなしの1ドルすべてを、食料を買うことに用いるはずだ。ところが、調べてみると、どうやら必ずしもそうとはいえないらしい。空腹を抱えているのに、食べ物を買わず、煙草を買ったり、酒を飲んだり、儀式にお金をつぎ込んだりする人が多いらしい。つまり、「可能なほど食べていない」貧困者層が多いのだ。絶対貧困にいる人々でさえ、体面や社会的地位を気にするし、生の楽しみを謳歌しようとする。人間は、やはり、経済学的に合理的とはいえない存在だし、だからこそ明日もプライドを維持しながら生き続けることができるのだ。

Cambodia#3
Nikon FM3A / Agfa Ultra100.

 カンボジアの傷跡は深い。想像以上に、えぐく、深いケロイドが、人々の心にべったりと張り付いている。ほぼすべての人々が、なにかしらの知人・親戚・友人・恋人を殺されているからだ。街を歩けば、内戦後に炸裂した地雷で脚を失った少年が、どれほど多いことか!(打ちのめされて、カンボジアの凄惨な部分にカメラを向けることができなかった自分を、いまでも恥じている) でも、みんな、自分なりに、自分の楽しみを見つけながら、自分なりの物語を紡ぎながら、今日を、明日を生きている。

Cambodia#2
Nikon FM3A / Agfa Ultra100.

 遊ぶ道具がなければ、道路工事用に積み上げられたセメントの粉末を、塗りたくって遊べば良い。上の写真の彼らとはずいぶんとじゃれあった。あるいは、観光客にモノを売りつけている下の写真の彼女だって、アメリカ人に商品を売りつけたあと、笑顔でガッツポーズをしてくれた。食いつなぐためだけに売るんじゃなくて、売ること自体に、それなりの楽しみを見出しているように感じた。繰り返すけど、そのことが、傲慢ながらも、嬉しかった。

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 当たり前なのだけれども、みんな、それなりに、生きる意味を見出しながら、大なり小なり自分の手で選択しながら、生きている。

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 もちろん傷跡の深さは決してぬぐえない。でも、自分の足で1歩前へ踏み出しながら、生きている。

murky transparence

 そんな当たり前のことを再確認したのが、カンボジアでした。アンコールワットの、土と石にすべてが還ってしまうかのような境界不定的な美しさよりも何よりも、カンボジアに生きる人たちの印象を強く刻んで、日本に舞い戻ってきたのでした。

00098

 もちろん、遺跡よりも、むしろ現地の人間に興味を持ってしまった自分は、完全な植民地主義者です。現地の人々に過剰な興味を持たず、淡々と遺跡を見学する人間が、一番まともなのだと思う。本当に。自分は、日本にはもはや存在しない、「オリエンタル」なものの幻影を、カンボジアの人々に見出して、悦に入っていたにちがいない。でも、それでも、いいんだ。現地で触れ合ったすべての人とモノに、感謝。ありがとう。

 願わくば、カンボジアの平和が続かんことを。そして、絶対貧困者層が減らんことを。若者の統制されていないエネルギーが、不幸な方向へ導かれないと良いなと思う。いや、若者たちが自ら、幸福な方向へと歩を進めていければ良いな、できるはずだ、と強く願ったのでした。若年層が多いということは、絶対的にチャンスでもあるわけなのだから。以上です。

Cambodia Angkor Wat#5

References   [ + ]

1.  カンボジアでは、1970 年、政府の経済政策の失敗により、財政が困窮する中、ロン・ノル将軍がクーデターを起こし、国家元首であるシアヌーク元国王を解任した。これを契機に、隣国のベトナム戦争がカンボジア領内にまで拡大し、以降、1991 年にパリ会議が開催されるまでの約22 年間の長きにわたって、カンボジアは戦乱に巻き込まれた。

 この22 年間の中でも、1975 年から1979 年にかけての3年8か月の間のポル・ポト政権(クメール・ルージュ政権ともいう。)下では、急進的な共産主義に基づき、都市の無人化・農村への強制移住、集団生活化、市場・通貨の廃止、宗教活動の禁止、学校教育(労働、農業及び政治を除く)の禁止等が断行され、カンボジアの伝統的な社会制度は破壊された。これらの政策に反対する者もしくは反対者とみなされた者は、次々に捕らえられ、残虐な拷問を受けた後、処刑されていった。これが世にいう「カンボジア大虐殺」である。犠牲者は200 万人ともいわれており、この大虐殺は、「心の傷」として、現在でもカンボジア国民の記憶に深く刻み込まれている。(上記pdfより引用)

2. 戦闘には主に男性が対処することになるため。また、もう1つの理由として、ポル・ポト政権下の弾圧の主な対象が知識人であったことが挙げられる。男性は、第2次及び第3次産業における就業率が女性よりも高いので、知識人とみなされがちであり、犠牲者が多くなったものと考えられる。(上記pdfより)

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