10月 09

DSC_2490
Nikon D40 / Ishikawa Prefecture.

 雲が立ち籠めて、空の天井はどんよりと重く低く、いまにも雨粒の涙をぼろっと零しそうな、でもぐっと堪え続けているような、身震いする、不思議な秋の一日。僕と君は、崩れかけた段ボールの家がいくつか建っている、小さな公園の黄色いベンチに座っていた。

 君を理解したい。だから、僕は君に尋ねる。仕事はなにか。趣味はなにか。一番関心を持っていることは何か。質問のシャワーで君を一通り洗い流した。君が結婚していて、子供がいることはわかった。銀行でファイナンシャルプランニングの業務に従事していることも了解した。写真とファッションが趣味らしい趣味であることも。でも、君は、僕の質問を受け流しているあいだ、いかにも窮屈そうだった。君という存在の核心をまだ確信できない。だから、僕は思いきって聞いた。君の人生で一番かけがえのないものはなにか。これを失ってしまったら崩壊してしまうというものは何か。将来の夢はなにか。どんな目標に向かって生きているのか。慎重に言葉を選んで、君は口を開いた。将来の夢は特にないけれど、私の周りの人たちが生きているから、あたしも生きるんだと。

 それを受けて僕は言う。「君は、最愛の夫と、二人が共同で将来に託した唯一の希望である子供を育てあげることに、人生を捧げているんだね」と。君はこう返した。「ちがう、そうじゃない。夫のためじゃない、子供のためじゃない、仕事のためじゃない、趣味のためじゃない、友人のためじゃない。なにかのために生きているんじゃない。あたしはバランスを生きているんだ。立派な目標なんてない。別に目標が欲しいとも思わない。でも幸せだよ」

 バランスを生きる??魚の骨が喉に刺さるように、君の言葉が僕の胸に引っかかった。でも、むりやり解釈すると、こうなる。君はいろんなものとの関係を生きている。何かのための関係ではなく、君が支え、支えられている、たくさんの関係そのものを。

 夫との関係。子供との関係。職場での関係。たくさんいる知人との関係。あるいは、レコードを通した、君が大好きな音楽を何十年も前に演奏していたあるミュージシャンとの関係。日に焼けた薄茶色の、角が均等に5ミリほど内側に折れ曲がった本を通した、いつぞやの小説家との関係。君の生きる空間を満たす光・空気・匂い・音・振動すべてとの関係。

 わたしの人生にはとくに立派な目的があるわけじゃない、と君は言った。出世にはそれほど興味がないと。夫や子供のためだけに生きているわけでもないと。誰か特定の人のために生きるわけじゃなく、何かを実現するために生きるわけでもなく、今の自分が支え支えられている関係性すべて、そのバランスが愛おしいから生き続けるのだと。

 目的を持って生きている人間は立派だ。向上心のない人間は生きるに値しない。誰かのために生きる姿は美しい。社会はそう語りかけてくる。誰もが頬を赤く染めた子供に尋ねる、将来の夢は何?と。誰もがスーツを新調したての会社員に尋ねる、あなたは出世できそうですか?と。誰もが赤いマニキュアを得意げに塗った女の子に尋ねる、最愛の人は誰ですか?と。みんな前のめりだ。息を切らして、自分の核となる何かを見つけようと、前へ前へすすみ、上へ上へよじ登ろうとしている。でも、そうじゃない生き方もあるんだと、はっとした。誰か特定の人のためじゃなく、見果てぬ夢を実現するためでもない、核のない人生、目的のない人生。多様な関係を、支え、支えられながら生きている自分を、まるごと肯定する人生。自分が支え、また支えられている、いろいろな人間やものとの関係を、壊さぬように、慈しみながら、それで足れりとする人生。

 もちろん、目的なき人生は、そんなに楽なものじゃない。変わらないでいるためには、変わり続けなければならないから。僕らは勘違いしているけれど、ある同じ状態を維持するのは本当に本当に大変なことなのだ。たとえば、何十時間も同じ姿勢で寝続けることはできない。腰が悲鳴を上げてしまう。寝るという一番簡単な行為ですら、僕らの体には相応の圧力がかかっていて、その圧力をうまく跳ね返すことによって、はじめて寝るという行為のバランスを保つことができる。椅子に座っているときも、ホームでぼけっと突っ立っているときも、体はバランスを保つために全身を緊張させているし、能動的な微調整をしなければ、行為は一瞬で瓦解してしまう。だから、もし君みたいな生き方を選ぶとしても、何もしなくて良いわけではないし、まったく変化しないことはないだろうし、それなりに大変なことがたくさんあるのだと思う。

 君は張力の均衡を生きている。君の外から降りかかる力。そして君がその肌理の細かい皮膚の内側から押し返す力。作用と反作用が押し合い引き合い、均衡を保つ点。君が君である危ういバランス。君の人生に立派な目的はないかもしれない。でも、君はいろんな関係を束ねながら、様々な他者やものを支えながら、またそれらに支えられながら、幸せに生きている。その作用と反作用が織りなす「張り」を、僕は、とても美しくみずみずしいものだと思った。正直、胸が詰まるほどうらやましかった。だから、こんな文章を書いてみたのです。


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