9月 21

 これ。同じくMOMATでやっている「崩壊感覚」というプログラムを見たくて、竹橋へと足を運んだ。ところが、「崩壊感覚」が率直に言ってイマイチだった。冠されたタイトルがあまりに魅惑的で、胸を妄想でぱんぱんに膨らませていただけに、展示品のボリュームの少なさに、へなへなとなってしまった。コンセプト展は、質よりも何よりも、絶対的な量がある程度求められるのだと思う。拡散した展示作品に、統一された物語(「わかる!」という感覚)を投影するには、一定の「厚み」が必要だと感じる次第です、はい。アート展の価値を測定する際に「質」はしばしば評価の根拠となるけれども、「量」について、もっと注目がなされても良いと思う。

 で、せっかくならということで、メイン展示である平山さんの企画も観てきた。平山さんの展示スペースにはとにかくお歳を召された方が多くて、驚いてしまった(若者率5%くらい?)。ちなみに同じMOMATでブレッソンの時は若者率が50%を超えていた(tablogの「これは観たい」リストの登録件数を調べてみても、崩壊感覚は73人であるのに対して、平山さんのはたった8人)。平山さんは1930年生まれの日本画家で、日本美術界の重鎮であり、重鎮が引き起こす軽い憂鬱(ベタにまみれる憂鬱)に、実際観るかどうか悩んだのだけれども、行って良かった!というのが素直な感想。

 テレビ・スクリーンに映されたり、紙面にプリントされた平山さんの絵を見ると、「つまらない仏教画」「重鎮の憂鬱」を感じてしまうかもしれないし、実際に自分もそうだった。でもね、ナマで観ると、なにこのマチエール(物質性)の圧倒的リアリティ(笑)って感じで。平山さんは光を(白色ではなく)金色ベースで描くことが多いのだけれども、打ちひしがれるような陰影のコントロールがなされていると思った。ものの輪郭が溶けて消失してしまうかのような淡い色調に、霞むような黄金色の光が入射したかとおもえば、ポップと呼んで差し支えないほどの濃厚な色が、どーんとあらわれたりもする。飽きさせない。

 原爆体験だとか、仏教への帰依だとか、平和への祈りだとか、「風景画としての歴史記述」だとか、いろいろと既成の物語筋が喧伝されているわけだけれども、そんなのは夾雑物にすら思えて、絵の前にじっとしずかにただずんで、光の重層的な恍惚を味わっていた。あれは素敵な時間だった。量の厚みも申し分ないし、行ってみて良かった!若者ももっと観ようよ。笑 おすすめ!


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